「祈禱詩篇」から

八年前の十月の真昼、愛犬ジャックと芦屋総合運動公園を散歩していた時、一瞬、世界がセメント状に変色し凝固するやいなやいきなり粉になってふわふわ撒き散らされて消滅するヴィジョンが、私の眼前にやって来た。そして同時に頭の中に粉文字の写本が刻印された。あわてて家に帰り、その粉写本が崩壊しない前に私はノートに写した。

その写本を、私は「土星群21号」(2005年4月1日発行)に「未来記 断章」と題して寄稿した。この作品は「祈禱詩篇」(2010年6月1日発行)にも収録されている。もちろんいつもの通り、何の反響もなかったけれど、去年から今年にかけての状況の中で再読すれば、決して荒唐無稽なお話ではなく、ヴィジョン(幻覚)にも一分の真実がある、少なくとも私にはそう思えなくもなかった。

  未来記 断章

 だから

 ……だからみらいはじごくではありません それはとて
 もふわふわしたものです むしろそわそわした……

 だって

 ……だってじごくなんてむかしからそこいらじゅうにこ
 ろがっているんですもの あなたがたがむきになってひ
 ていしても わたくしにはみえています あなたがたの
 はらわたのすみでうごめいているどすぐろいけだもの
 ほら ときたまくちやみみやわきのしたからずるりとし
 っぽがはみだしたりして……

 まだ

 ……まだあなたがたにはこころというものがあるらしい
 から のうにはっせいしたかみさまと はらわたにいす
 わっているけだものがはげしくののしりあい とっくみ
 あい なぐりあってはしゃいでいるしゅらばを わたく
 しはじっとかんさつしています しかしそれではあなた
 がたのみらいは……わたくしはあなたがたのおせんされ
 たみじめなみらいをけいけんして いま とてもくるし
 くてむねがはりさけそうです……

 もちろん

 ……もちろんおせんされたあなたがたののうにはすでに
 てんごくもじごくもありません かみさまもけだものも
 ひからびてふんさいされて こなになってこくうにもう
 もうととびちっています すべてがゆらめいているふわ
 ふわしている すべてが……

 すべてが

 ……すべてがおせんされかいめつしています うみもそ
 らもだいちもあなたがたののうもはらわたもすっかりい
 かれています もうわたくしにはあなたがたのみらいの
 けいけんにたえることができません ねえこれをみて
 このこなになってくずれてゆくわたくしのからだがあな
 たがたのみらいです いっさいはせわしなくざわめいて
 ふわふわしたりそわそわしています いっさいはこなご
 なになってあちらこちらでさけんでいます いっさいは
 ゆるしてくださいとくるったようになきさけんでいます
 ……

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