生誕120年記念として9月1日から10月14日まで田中恭吉の作品約300点が和歌山県立近代美術館で展示されている。
48年前、まだ中学三年生だった私は、夏休みに近所の市場の片隅にある小さな本屋で立ち読みをしていて、角川文庫の背表紙に「月に吠える」と印刷された奇妙な書名の本を書棚から抜き出した。そして扉に、「悔恨」や「懈怠」という挿画を見て、一瞬戦慄してしまった。決して大袈裟な表現ではなく、言葉の正確な意味でじつに戦慄し、ほとんど立ちすくんで、言ってみれば宿命に似た黒い暗示を覚えるのだった。そして、それに続く「竹とその哀傷」という痛く突き刺しからみつく言語群の中を蒼白してさまようのだった。これもまた言語の正確な意味で「言語群の中を蒼白してさまよっていた」に違いあるまい。
2012年9月11日午前10時過ぎ、おおよそ1時間余り妻と二人で館内を漂流して、フラッシュをたかなければ写真を撮っていいですよという係員の言葉に甘えて、写真係の妻にあれを撮れこれを撮れ、イカレテしまったかのように指示するのだった。
私の中学三年生の夏休みの宿題は終わったのか。最終展示室で田中恭吉畢生の傑作「心原幽趣」などを観て、ガラスケースに展示されていた萩原朔太郎から恩地孝四郎宛のはがきを読んだ時、それは夭折した天才恭吉への無念の思いを綴っているのだが、不意に胸に込み上げるものを覚え、これ以上の鑑賞に耐え得ず、退室した。
美術館の売店でこんな本を買った。
「田中恭吉 ひそめるもの」(玲風書房2012年9月1日発行)
版画芸術No.157(阿部出版2012年秋)
*
くろと銀ぬれひかりつつただよへるげつやにひとりかげ踏みていづ
独り影をみつめてあれば寄りそひて影おとすものいちにんありけり
*
ささやかなる 寝どこを みづからの 温みに あたためむ
波のね とほく しみ入り 花のか かすけき まどべ
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闇をすひ 闇をはき くろく 生きたる 夜のそこ
ただ たのむは ちひさき あかき しんぞうの ときめき
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おともなき白昼の底よりただならぬものの叫びをききてわびしも
閉ぢあはす唇のうしろに怖ろしき言葉ひかえて白昼はしづけし
*
あな淋し昇る大日くわくくわくと海のてつぺんころがりまろぶ
すこやかの人らのなかに身をさしいれ病める眼を光らせにけり
*
歩むたび蔭芝のはな散りこぼれわれわかくしてもの言はぬかな
かたむきてしづかにしろくさきゐたりわがすぎしみちのかげくさのはな
病みぬれば病めるものとしあそぶなり病院の庭に栗の花さく
ほのかなる歌をうたひてわがへやのつめたきドアをわがなでさする
これらの言葉は「田中恭吉 ひそめるもの」からランダムに引用した。利益が出なければすべてを切り捨てんとする世界にあって、そしてその論理でいけば田中恭吉もまたこの世から消滅するであろう、そんな過酷な成果主義の世間で、私は和歌山県立近代美術館の勇気ある企画を尊敬せざるをえない。
最後に、「月に吠える」の巻尾に書かれた萩原朔太郎の言葉を併せて引用しておく。
「もちろん、私は繪畫の方面では、全く智識のない素人であるから、専門的の立場から観照的に氏の藝術の優劣を批判することは出来ない。ただ私の限りなく氏を愛敬してその夭折を傷む所以は、勿論、氏の態度や思想や趣味性に私と共鳴する所の多かったにもよるが、それよりも更に大切なことは、氏の藝術が真に恐ろしい人間の生命そのものに根ざした絶叫であったと言ふことである。そしてかうした第一義的の貴重な創作を見ることは、現代の日本に於ては、極めて極めて特異な現象であるといふことである。」(萩原朔太郎全集第一巻114頁新潮社昭和47年3月15日七刷)
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