僕の中の「ボードレール」 前編

美」は「真」よりも高貴である……これは1860年5月発行の「人工の楽園」に書かれたボードレールの言葉である。ときにボードレール39歳。
これから僕が引用するボードレールの言葉はすべて下記の翻訳書を参照していただきたい。

ボードレール全集全4巻(1966.8.15~1968.3.5重版、人文書院)

西脇順三郎によれば「近代のヨーロッパ文化を知るのに読むべき文人を二人あげるとすれば、私の考えではシェイクスピアとボードレールである」と「詩学」の中で書いているが、そしてその西脇の「詩学」は後ほど検討するとして、上掲のボードレールの言葉、「美は真より高貴である」を彼自身の言葉によってもう少し明るみに出すために、少し長くはなるが、ボードレール三十代後半の作品の中からさらに引用したい。
まず、「ポウについての新しい覚え書」。これはボードレールによるポウ翻訳集「新・意想外の物語」の序文で、1857年3月8日発行、彼、ボードレール36歳。

「美の観念のもっとも敵意にみちた相手である実用性の観念があらゆるものに先立って支配権をふるっている国では、申し分のない批評家とはもっとも品行ただしい人ということになる。すなわちその傾向やねがいが公衆の傾向やねがいにもっともよくちかづく人、作品の機能や種類をごっちゃにしてすべての作品にたった一つの目的を押しつけるような人、一冊の詩集のなかにも、良心を完全なものにするための手段をもとめるような人である」(全集第3巻35頁)。
「だがもっぱら詩句にたいする愛のみからつくられた詩は、憤慨からつくられた詩よりも、美しくなる機会をより多くもっていることも同様にまたたしかなのだ。世のなかは憤慨している人びとでいっぱいだ。だが彼らは決して美しい詩句を書きはしない」(全集第3巻62~63)。
「美しいものは道義的でも非道義的でもない。私も承知していることだが、非常にしばしば真に美しい詩は魂を天界に運びさることがある。というのは、美はかくも強烈な特性をそなえていて、ただひたすらに魂を高貴ならしめるものだからだ」(全集第3巻63頁)

かなり長い引用になってしまった。既にボードレール全集を読んでいる方は読み飛ばしてほしい。しかし詩を考えるうえでとても大切な言葉だと僕は思っているので丁寧に読み続け、さらに丁寧に引用を続けたい。1859年11月に発行された小冊子「テオフィルゴーチェ」から。ボードレール38歳。

「また他の人たちは時として、彼の見かけの冷淡さや彼の人間性の欠乏を口にした。この批評の中にも軽率と無分別とがある。人間性を愛する者は誰でも、博愛的美辞を述べうる何かの材料があると、きまって次の有名な文句を引用する。
(私は人である。だから人間に関する何事も私にとって無縁ではない。)
だが詩人は、『私はまことに高貴な義務を負わされているので、人間に関するすべては私にとって無縁である。私の職務は超人間的である!』と答える権利をもっているであろう。」(全集3巻124~125頁)

そしてさらに続けてボードレールは言う、

「近年、時としてゴーチェが一見気が弱くなり、あちこちで進歩殿下や権勢並びなき産業姫にいくつかの讃辞を呈するのを見るようになった原因は、確かにこの同じ絶望、誰にもせよ、人を説得したり、矯正したりすることはできないという絶望である。このような場合、あまりにもせっかちに彼の言葉を真にうけてはならない。これこそまさに、軽蔑は時として人の心をあまりにも善良にすることを確認すべき場合なのである。なぜなら、この時、彼はただ気軽に譲歩することによって(薄暗がりの中でもはっきり見える人たちにはそれを解することだが)、すべての人々と、あらゆる詩歌のあの暴虐な敵である『産業』や『進歩』とさえも、平和に暮らしたいという彼の意向を示しておいて、自分の本当の考えは自分のためにとっておくからである。」(全集3巻125頁)

以上、「美」についてのボードレールの基本的な考え方をご紹介した。もちろん、言うまでもなく、ボードレールにとって「美」とは「詩」にすぎない。彼は詩の化身と言っていいのだから、絵画も音楽も文学もすべて極論すれば神に対応=反抗する「美=詩」であったと言っていいと思う。

ところで、ボードレールについて日本の詩人はどのように発語してるだろう。まずは、なにはさておき、萩原朔太郎である。
新潮社版萩原朔太郎全集第二巻68頁から69頁にかけて。朔太郎37歳。大正11年4月5日に発刊された「新しき欲情」から。
幻想に対して、いつも理性がそれを否定し幻滅を感じてしまうボードレールの二重性。幻想家の彼をいつも理性家の彼が否定する。そして朔太郎は言う、「『自ら信じない幻像の実在』に向かって、たえず霊魂の悲しい羽ばたきをした人こそ、我等の新しい言葉で言う意味での真の近代的神秘詩人でなければならぬ」(69頁)。
噛み砕いて言えば、理性は自然の事実や社会の現実などを直視し、幻想はこの自然や現実を超えようとするであろう。この理性と幻想の二重性に苦悶し、その二重性を言葉で結晶したのがボードレールであり、近代詩人の始祖なのだと。さらに噛み砕いて言ってしまえば、現代人はみな夢と現実に引き裂かれ、多かれ少なかれその二重性に苦しんでいる。1850年前後にいち早くボードレールはこの事実に直面し、苦悩し、カソリックでありながら、神に反抗し地獄で自己処罰する姿・響き・匂いを言葉へと昇華したのだと。

西脇順三郎。「詩学」(昭和43年6月15日初版第三刷、筑摩書房。「学」は原書では旧字体である)。僕は19歳の時、この本を読んでとてもステキだとため息をついた記憶がある。高校1年生の時、順三郎の「旅人かえらず」を読んで、中学の時いかれた「月に吠える」にはない淋しいポエジーを覚えた。知らない場所へつい寄り道してしまった淋しさだった。これらの本の記憶は四十数年たっても僕の脳髄に鮮やかに刻印されているのだが、しかし僕はそろそろボードレールに帰らなければならぬ。
西脇順三郎の「詩学」は二部形式になっていて、1966年「無限」に発表された「ボードレールと私」がその第二部となっている。西脇順三郎73歳。

「彼が自然を嫌ったのは宗教や哲学や道徳や政治の見地からではなく、みな彼が考えた芸術という見地からである。彼はすべての価値を芸術という見地から考えた。『情熱』を嫌ったのも、それが自然であるからであった。」(220~221頁)

ここで「彼」というのは、申すまでもなく、ボードレールだった。さらに続けて、

「ボードレールの作品の世界はみな精神的な抽象的な世界である。外界の世界、人間の肉体的世界を取り扱っているが、それらはいつも精神世界への関連として当然説明されている。この外界の世界とか生物としての人間の世界のことを「自然」という言葉で表している。ボードレールは「自然」ということを悪と考えた。これはカトリックの神学的信念でもあった。「超自然」(シュールナチュラリスム)ということを信じていた。もし彼が神学者や僧侶になってもすばらしい存在になれたと思う。」(266頁)

「詩という方法でなければ『超自然』とか、『超現実』の世界を創造出来ないとボードレールは考えた。(これはボードレールが発見した考え方ではない。ロマン主義的哲学が考えたことである)。ボードレールを初めとし、その後のサンボリスト詩人もシュールレアリスト詩人も『超自然』とか『超現実』ということは認識上の観念として本当の現実とか本当の自然という意味である。」(267~268頁)

「超自然的な美は彼にとって新しい美であった。スプレーンもイデアルもアンニュイも殆ど同じ意味であって、そうした美の発見に必要な要素であった。自然の美はすでに発見されて常識になっていた。そうした古いアカデミックな古典的な自然の美を破壊すること自身を新しい美の発見だと考えた。彼はついに『無』の中に新しい美を発見したと思う。美も醜もない『大空』の中に最後の新しい美を発見した。『私の霊魂はいつもめまいにおそわれ、無の無感覚をほしがっている。アー、「数」と存在」から、どうしてものがれられない』と言ってなげいた(「深淵」という詩の最後)。自然の美のないところに新しい美を発見した。あるいは発見しようとした。彼は無限とか神秘とか永遠とかいうものの宗教的な意識を、崇高な美と言ったと思う。」(274頁)

ただ、西脇順三郎は、結局、ボードレールやマラルメたちの象徴からブルトンたちの超現実主義から遠く離れて、現実主義でもなく超現実主義でもない世界、先ほど西脇順三郎が彼のスタイルで翻訳していたボードーレールの「深淵」を突き抜けて、思考それ自身がかけ離れたものを結びつける新しい関係の発見によって発生するこの世の消滅と、そこからまた同時に発生する脳髄の哀愁、その思考それ自体、これをポエジイだと思考したのだと、僕は思う。
ここで少し休憩したい。こんな奇妙なことばかり追い続けていると、ほとんど発狂である。だから少し休憩することにした。休憩とは大手拓次のことである。彼は決して理屈をこねたり詩論やエッセイや小説や政治談議などで時間をつぶさない。おおよそ短い詩の中になまめきやあやしさなどを純化させる名人である、そしていつも伏し目がちにフランス語の詩集を読んでいる、萩原朔太郎の詩誌への協力要請も「フランスの詩しか読んでいませんから」と丁重にお断りした詩人中の詩人だと、かねてから僕は考えている。
大手拓次とボードレールの関係といえば、彼はライオン歯磨本舗広告部で働いていたが、例えば昭和6年6月に書かれた「『香水の表情』について」のペンネームを「悪の華」としている(大手拓次全集第5巻393頁、白凰社)。それからまた、私の知る限りボードレールの詩を25篇(内、同じ詩の違った訳が4篇)訳している。だからティータイムとして、彼の翻訳になるボードレール「亡霊」を上演する。

  亡霊     ボードレール(大手拓次訳)

 茶褐色の眼を持った天使のやうに
 わたしはお前の寝部屋のなかに帰ってゆこう、
 そしてお前の方へ音もなく、夜の影と共にすべってゆこう。

 わたしはお前に与えよう、暗い女よ、
 月のように冷たいベーゼを。
 又、穴のまはりに這ってゐる
 蛇の慈愛を。

 鉛色の朝が来るとき
 お前はわたしの空しい場所を見出すだらう、
  それで夕方までに凍ってしまふだろう。

 ほかの人が親切をするように
 お前の命の上に、お前の若さの上に、
 わたしは、恐怖をもって支配しよう。(全集第4巻208~209頁、昭和46年4月1日発行)

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