僕がマチューリンという名を知ったのは、ボードレールが何度か言及しているからであろうか。「放浪者メルモス」という作品には直接関係しないが、ボードレールが生前よく口にした作家は、ディドロ、ラクロ、ホフマン、ゲーテ、ジャン・パウル、マチューリン、バルザック、ポオ、ド・クインシー、同時代周辺のテオフィル・ゴーチェ、バルベ・ドールヴィリ、フローベル、ボレル等、ベルトランの「夜のガスパール」・スタンダールの「恋愛論」・パスカルの「パンセ」を含みながら、音楽ではベートーベン、ワグナーというところ、絵画で言えばドラクロア、アングルに代表される無数の同時代人たち、ある程度彼等の作品を知っておくとボードレールを理解する一助になると、僕は思う。
しかしマチューリンを知ったのはこれだったのかも知れない。
リーシュリップ城 C・R・マチューリン 安田均訳(「幻想と怪奇」創刊号、昭和48年4月1日三崎書房発行)
この「幻想と怪奇」という雑誌は隔月刊の幻想怪奇文学研究誌で、1974年10月1日発行の第12号をもって終了する。1年半くらい続いたのである。最終号の特集はウィアード・テールズ<パルプマガジン>である。思えばラヴクラフトを積極的に紹介したのもこの「幻想と怪奇」であり、1973年11月1日発行の第4号は「ラヴクラフト=CTHULHU神話特集」。そして創元推理文庫が1974年12月13日に「ラヴクラフト傑作集1」を出し、1976年8月20日に「ラヴクラフト傑作集2」、その後、創元推理文庫は「ラヴクラフト全集」と書名を変え、ここに日本おいてもラヴクラフトの本格的な紹介が始まったといえる。創元推理文庫ではポオと同格に近い扱いであり、けだしボードレールの言う「芸術は絶対的コミックである」という真理から見れば、決して違和感はない。ちなみに「幻想と怪奇」の創刊の辞は、紀田順一郎と荒俣宏が編集室代表として書いている。また、発行所は、創刊号の三崎書房が第2号から歳月社へと変更されている。
さて「ウィアード・テールズ」といえば思い出すのが国書刊行会から出版された「ウィアードテールズ」全5巻のアンソロジーだろう。第1巻は昭和59年7月31日発行、最終の第5巻が昭和60年5月15日発行である。ラヴクラフトの作品は第4巻に「夜を這う詩」が紹介されている。
こうしたわけで僕はマチューリンの「放浪者メルモス」を読んだ次第だった。一時おそらく絶版のようになっていたと思われるが、最近復刻されているので入手するのはたやすい。
放浪者メルモス C・R・マチューリン 富山太佳夫訳、国書刊行会2012年8月20日発行
この作品は、その昔、ゲーテの「ファウスト」とならび称されたという話である。悪魔に魂を売るという共通した主題を取り扱っているからか、その辺りの事情は門外漢の僕にはわからない。ゲーテの「ファウスト」は第1部が1808年に、第2部が1831年に完成し、その翌年83歳で彼はこの世を去っている。「放浪者メルモス」の方は、1820年に上梓され、その4年後、42歳でマチューリンはこの世を去っている。その翌年、ボードレールが生まれた。
マチューリンの生涯に関しては訳者の懇切なあとがきを参照されたい、言うまでもなく作品もまた。すべての悪がこの書の中に書かれている、確かそういうふうにボードレールは呟いたと思うのだが。どんな「悪」か。一例をあげれば、カソリックの修道院の司祭は同性愛になった若い二人の修道士を地下室に飲食も与えず幽閉し、最初はやっと二人きりになれたと愛し合っていた彼等だけれど、ついに耐えがたい飢餓に翻弄され、果ては相手の肉体にかじりつき、恋人のちぎれた片腕を口にくわえたまま餓死してしまった話。マチューリンの作品の魅力は、ジグソーパズル状に多面的に脳髄に発生する悪夢の物語が、その上それらの悪夢が極めて微細に描写されていて、先に書かれた悪夢に後の悪夢が混入し、さらに次の悪夢、その表面にまた別の悪夢が張り付いて、ついに悪夢多層体を結晶するところにあるのだろう。この本の横に、同じアイルランドの作家、ジョイスの「ユリシーズ」を、つい置いてみたくなるのは、決して僕一人ではあるまい。
さらに一言。この悪夢多層体とでも言うべき「放浪者メルモス」のイメージの原型はいったいどこからやってきたのだろう。マチューリンはカルヴィン派の牧師として、カソリックに対する憎悪を、スペインを舞台にこれでもかとほとんど狂ったように書き続けたのであろうか。そうでもあろう。しかしやはり、月並みな言い方だが、マタイ伝第四章1から11までの荒野におけるイエスの試練の物語がマチューリンのイメージの原型にあったのだと、そして僕はこのマタイ伝第四章を虚心に読めばサタンに対するイエスの微笑さえ感じるのだが、この「放浪者メルモス」という大著を読み終えて静かに本を閉じた時、悪魔に魂を売ったメルモスは絶対的コミックだ、僕は覚えず笑みを落としていた。
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