グリム童話を読んで、よかった。

グリム童話全集第三巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。これでグリム童話全集全三巻、211篇のメルヒェンを読んだわけです。解説に書かれている通り、グリム兄弟は収集した資料の中から英雄伝説などを採用しないで、特に民衆の中で語り継がれてきたメルヒェンを編集し発表したそうです。だから社会の底辺で苦悩する貧しい人や馬鹿正直な人、迫害されている人、家庭で親から疎外されている子供たちの救済劇が多く見られます。この第三巻の最後の十篇、「子どもの聖者伝説」を読んでみてください。「死」が大きな主題となっていますが、あわれな子供たちの死にも聖なる意味を発見できるでしょう。一度、現代日本の長寿社会に生きている人々の考え方と比較してみるのも興味深いのでは。グリム童話を最後までぜんぶ読んでよかった、きっとそう思われるでしょう。

同時並行して学んでいるマルキ・ド・サド先生の関連では、サドの「閨房哲学」(澁澤龍彦訳、河出文庫)を読みました。サドの自然哲学の講義を聴講しているような対話篇ですが、末尾の「第六の対話」、「最後の対話」に至って、サドのお家芸、密室幻想の世界が開演され、究極の残酷美があやしく結晶されます。この辺りは実際に読んでいただくとして、「第五の対話」の中で紹介されている「フランス人よ!共和主義者たらんとせばいま一息だ」という論文から、サドの死刑に対する考え方の一部を引用してひとまず筆を措きます。

「殺人という犯罪は、はたして犯罪であるか、それとも犯罪でないか?

もしも犯罪でないとしたら、犯罪でないものを罰する法律をどうして作るのか? またもし犯罪であるとしたら、同等の犯罪行為によってそれを罰するというのは、何という野蛮かつ愚劣な矛盾であろう?」(同書208頁)

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