アンデルセンとサド

アンデルセン童話全集第1巻(高橋健二訳、小学館)を読みました。有名な「親指ひめ」「人魚ひめ」「皇帝の新しい服」「よなきうぐいす」など26篇の作品が収録されています。アンデルセンの童話の少なくとも何篇かはほとんどの日本人も読んでいると思います。訳者の解説を読んでいて、少し余談になりますが、アンデルセンが1837年に発表した「ただのヴァイオリンひき」を酷評した哲学者キルケゴールを、翌年「幸運のオーバーシューズ」の中で鳥の「おうむ」に見立ててあてこすっています。この「おうむ」がしゃべれる人間のことばはたったひとつ「いや、人間になろうよ!」

一方、この間ずっと読み続けているマルキ・ド・サド関連の本では、サドの「短編集 恋の罪」(植田祐次訳、岩波文庫)を読みました。4篇の作品に付録「『恋の罪』の作者、三文時評家ヴィルテルクに答える」が付いていて、少し引用してみます。
「要するに劇的技法の主たる二つの力とはなんであるか。あらゆる傑出した作家は、それが恐怖と哀れみであると語ってきたではないか。ところで、勝ち誇る罪の描写でないとしたら、恐怖はどこから生じうるのか。また、不幸な美徳の描写でないとしたら、哀れみはどこから生じるのか。」(412頁)

訳者の解説によれば、サドが小説を書き始めた1770年代のフランス文学では、このような土壌が既に形成されていた、そしてこの場所からサドは出発したのだと、つまり、「美徳が迫害される残酷なテーマ、宗教道徳の偽善性への挑戦、快楽と悪徳の称揚、ゴシック小説を先取りした『暗いジャンル』で執拗に描かれる陰惨な場面、サドが好んで用いる『演劇的小説』の手法」(439頁)

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