ヘルダーリンをもう一度読む

久しぶりにヘルダーリンを読み始めた。ヘルダーリン全集第一巻(訳者 手塚富雄、生野幸吉他、河出書房新社)。この集にはヘルダーリンの1784年から1800年までに書かれた詩が収められている。彼は1770年に生まれているから、14歳頃から30歳頃までの作品である。

ヘルダーリンが14歳の頃に書いた詩にこんなのがある。

教会と国家の安寧こそ、
その心労の不断の目あてです。(「師への感謝」から)

死と地獄とがすさまじくとどろくとき
父なるあなたは、わたくしたちを守ろうとして急ぎます。(「M・G」から)

そして15歳になると、美徳と悪徳との区別と関係を言葉で表現している。

しかし悪徳の奴隷は、
良心の不安な雷鳴にさいなまれ、
死の不安は彼らを軟らかなふしどのうえにまるがす、
快楽そのものがみずからに鞭を振るうふしどに。

彼は聖職者になる予定だったから当たり前だといえばそれまでだが、絶対者から自分を見る意識が15歳にして芽生えている。

いつかは、裁き手がこのわたしを
信深き者らの列に入れてくださるように。(「思い出」から)

天よ! はやくもわたしは感じている、よろこびをー
あなたのよろこびをーたのしい永遠と再会することを!(「わが家のひと」から)

この「わが家のひと」は16歳の作品かもしれないが、いずれにしても永遠なるものと死すべき世界とが10代半ばにして彼の眼前に広がっているに違いない。18歳頃に書いた詩を読むと、既にヘルダーリンの思考の一端が見えなくもないと、僕は思う。

不死だ、不死だ、人間の魂は。(「魂の不滅」から)

すべては滅亡する、しかし魂は永遠である、こういう意識にそって詩を書くこと。この思考から帰結として、さらにこんな思考が、一言で言えば現世を否定する言葉が生成する。

いつか地上のつまらないものや
人間の圧迫が永久に消え去ったときは(「魂の不滅」から)

いや、僕にはこの地上に何も望むものはなかったのだ
ただ堪え忍ぶのだ 世間のどんな迫害も(「桂冠」から)

ヘルダーリンの詩の美しさは、高揚感と挫折感との極めて激しい落差にも由来するのかもしれない。おそらくそれは、彼等が青春時代に経験したフランス革命の栄光と挫折が少なからず影響してるのかもしれない。ここで僕が「彼等」と言ったのは、言うまでもなく、チュービンゲン大学で一緒に学び、フランス革命の際、「自由の樹」のまわりで革命歌を歌った仲間、ヘーゲルやシェリング。ヘルダーリンは21歳くらいの時、「人類に寄せる讃歌」という詩を書いている。

美のひろやかな悦楽の原では
生は奴隷の欲望を低く見下すのだ。(全集173頁)

祖国は盗人らの手からのがれさって
彼の心と同じく、彼の祖国はいまや永遠になった。(同174頁)

祖国こそ、彼の最高の誇り、彼のいとあたたかい愛、
彼の死、彼の天国だ。(同174頁)

人類は、完成に向かって進みゆく。(同175頁)

ルソー、そしてフランス革命。こんな詩を読むと、ヘルダーリンとヘーゲルの同時代性を強く覚えないわけにはいかない。二人は1770年に生まれている。また、先にも触れたとおり、同じ大学で革命を祝祭した同志だといえる。しかし、1795年には、ヘルダーリンは暗い挫折感が漂うこんな詩を書いている。

無上の愛は永久に朽ち、
われらの愛するものは影にすぎない。
青春の金いろの夢が死したとき、
わたしには、やさしい自然が死んだのだ。(「自然に寄せる」から)

ヘルダーリンが20歳の時に書いた詩に「自由がわたしを俗塵から連れだしてくれたときから」(「自由に寄せる讃歌」から)という一行があるが、彼は聖なるものと俗なる世界とを絶えず往還していた、おそらく彼には聖と俗の間に生命の川が流れていて、その川の渡し守のような人だったのかもしれない。だから、こんな言葉が発生する。

そして時の打つごとに
わたしのこころはふしぎにも
幼いころのこんじきの日々へとよみがえる、
わたしがこのひとりのひとを見出してからは。(「ディオティーマ」全集248頁)

地上のどんな力も
どんな神の命令も
わたしたちを隔てることのないところ、
わたしたちが一にして全であるところ、
そこだけがわたしの家だ。
わたしたちが窮乏と時間を忘れて、
わずかな利得を追う
物差しを捨てるところ、
そこでこそわたしは言う、わたしは存在していると。(同252頁)

彼が愛したズデッテ・ゴンタルト、つまり彼の詩の中の「ディオティーマ」のことだが、その別稿にはこんな言葉も書かれている。

そのようにわたしも 神々の高みからくだって、
これまでにない幸福のうちに あらたに清められた身として
喜ばしく歌い そして見るために、
いまは人々のところに帰りたいと思う。

この「いまは人々のところに帰りたいと思う」という言葉を聴くと、まったく意味不明で何の関係があるのかさっぱりわからないが、僕の耳もとで、「これが人生だったのか、それならばもう一度」と語ったニーチェの言葉が交響し、ささやきかけてくる。そして手前勝手だが、ひょっとして、読書の喜びって、さまざまな言葉の世界を旅した果て、おびただしい言葉が反響する言いがたいエクスタシーにあるのかもしれない。ヘルダーリンが21歳か22歳くらいの時に書いた「運命」という詩の一節が彼の墓碑銘に書かれている。

最も聖なる嵐の力に
わが牢獄の壁はくずれ落ちよ、
壮麗に自由に翼をふるって
わが精神よ 未知の国へすすみゆけ!

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