もう森へなんか行かない

 昔読んだ本の細部が夢の中で浮かんできた。

 西脇順三郎と石川淳が対談している。松尾芭蕉の「笈の小文」を「オイのコブミ」ではなく「キューのショーブン」と読むべし、西脇が主張している、石川は反論しているが。おそらく酒を飲みながら対談しているのであろう、芭蕉は漢籍に精通しているから「キューのショーブン」と音読したに違いない、そう西脇が……ボクが二十歳くらいの時、本屋さんで立ち読みした季刊「都市」にこの対談が掲載されていたのだが、いま、夢の中に出た、午前三時、ベッドの上。

 目覚めているのか、夢の続きか、判然しない、あおむけに寝転んだまま、ボクは去年死別したワイフとおしゃべりしている、西脇先生には「オイのコブミ」じゃあダメなんだ、「キューのショーブン」という音によって彼の脳髄は青ざめ、言いがたいポエジーを感じるのだろう。

 季刊「都市」の立ち読み、もう四十五年も昔のお話だが、こんな細部も浮かんでくる、田村隆一のインタビュー、聞き手は開高健、ひょっとしたら記憶違いかもしれないが。インタビューが終った後、聞き手が感想を書き、田村隆一の詩を紹介している。

  針一本

  床に落ちてもひびくような

  夕暮がある

 田村隆一の「恐怖の研究」の最初の三行。ボクはリルケの書いた文章を連想している……

そのころ、彼女はひどくピンや針を不安がった。しかし、他人にむいては「もうまるで何も食べられなくなってしまいましてね。気にかけていただいてかえっていやですよ。これで結構、何不自由なく生きていられるのですから」と弁解らしいことを言ったりした。が、突然、僕の方をむくと、(僕ももう物事がわかる年になっていた)一所懸命らしい微笑を無理に浮べながら、「そこらじゅう、ピンや針はいくらあるかわからないし、どこから出てくるかもしれぬし、ね、マルテ、ひょっとして、もしか……なぞ考えたりするとー」と、ささやいた。彼女は自分だけはそれを冗談に言っているつもりだった。しかし、不注意にさしっぱなしになっているピンや針が、いつどこで落ちかかっているかもしれぬと思うと、もう彼女は恐怖に体が震えだすのだった。(大山定一訳「マルテの手記」新潮文庫89、90頁)

 田村隆一は季刊「都市」の責任編集者だった。この雑誌を出版していた「都市出版社」は1969年6月に矢牧一宏が設立し、1972年6月に倒産している。ただこの三年間に、奇書「家畜人ヤプー」などを出版している。次の本もボクが二十二歳の時に購入し、再読までしたステキな作品である。

 「もう森へなんか行かない」(エドゥアール・デュジャルダン著、鈴木幸夫、柳瀬尚紀・訳、昭和46年10月1日発行)

 西脇順三郎と石川淳の対談の夢を見て、四十五年ほど前の季刊「都市」の立ち読み体験を思い浮べ、ついに「もう森へなんか行かない」に至りつき、夜明けからこの本をまた読んでしまった、美は純化された妄想である、そう語りかけてくる作品を。

 都市出版社の本に関していえば、我が家のダイニングに置かれた本棚を眺めていると、眼に留まった、デュジャルダンに影響されたジェイムズ・ジョイスの「フィネガン徹夜祭」(鈴木幸夫他訳、昭和46年12月25日発行)。この出版社を設立した矢牧一宏は、薔薇十字社の相談役にもなっている。薔薇十字社は1969年に設立され、1973年に倒産している。今年の夏、昔のなごりを惜しんで再読した「大坪砂男全集全二巻」も薔薇十字社から出版されている。この出版社の本もそこそこ読んでいて、ボクの二十代前半に彩をあたえてくれた。矢牧一宏という特異な出版人は、澁澤龍彦責任編集の「血と薔薇」にも関係している。1982年、肝臓ガンで死去、五十六歳。

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