「カラマーゾフの兄弟」再読

 この本の巻末の年譜を見れば、懐かしい書名がずらりならんでいる。ドストエフスキーが二十四歳で書いた「貧しき人々」から始まり、「分身」、「白夜」、「虐げられし人々」、「死の家の記録」、「地下生活者の手記」、「鰐」、「罪と罰」、「白痴」、「悪霊」、「未成年」……十代から二十代にかけて、愛読した本。とくに、「分身」、「白夜」、「地下生活者の手記」、「悪霊」は、再読・三読している。「白夜」に関して言えば、高校生の時、テレビでそのモノクローム映画を見て、靄にけむる、橋のたもとの、夜の夢幻劇を何度も読み返した記憶がある。

 ドストエフスキーの作品では、熱病に浮かれたいかがわしい登場人物たちの長広舌がえんえんとくりひろげられる。けれども、絶望的な状況になればなるほど、読者の心が洗われる、癒される、そんな不思議な言葉の動力。

  「カラマーゾフの兄弟」世界文学全集第18巻、米川正夫訳、河出書房新社、昭和45年2月15日4版発行

 周知のとおり、ドストエフスキーは五十九歳で「カラマーゾフの兄弟」を完成させ、予定していた第二部は書けず、そのまま永眠するのだが、二十歳そこそこのボクには、熱病にかかった妄想家たちのドラマ、そんな印象が残った。

 四十五年たって、再読した。ボクはもうドストエフスキーよりお兄さんになってしまったが、「神がなければ、すべてが許される」、「俺がお茶さえ飲めれば、世界なんて破滅してもいい」、こういった虚無の主題が何度も重層的に描かれて、やはり二十歳代に覚えた悲惨な妄想と幻覚の世界が脳裏に再現されて。宗教家のゾシマ長老でさえ、みずからの死を前にして、自分の過去をとうとうとものがたるのだが、ほとんど偏執狂に近いのかもしれない。

 いたましい妄想の海に漂流する登場人物たち、「俺がお茶さえ飲めれば、世界なんて破滅してもいい!」そんな悲痛な絶叫が海底から海鳴りのように繰り返し反響してくるが、しかし、そのままの状態で既に彼等は救われているのだ、このたび再読して、ボクはそんな印象を強く受けた。

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