ゾラの「居酒屋」

 この本の奥付の発行年月日からみて、おそらくボクのワイフはこの本を高校生の時に読んだと推測される。

 世界名作全集7「ゾラ」(黒田憲治訳、河出書房新社、昭和41年10月25日発行)

 四五年昔、ボクとワイフが同じ屋根の下で暮らし始めた時、彼女がもっていた本の中の一冊。もともとボクはフランスの自然主義作家の作品はほとんど読んでいない。ゾラの下に集まった自然主義作家では、別な意味で、つまり超自然主義作家として、ユイスマンスはよく読んだ。それから後期のモーパッサンも。

 しかし、二年前に亡くなったワイフを追想するために、生前彼女が読んでボクは読まなかった作品を読み始めている。このゾラの「居酒屋」もその中の一冊。

 一八七七年二月にこの本は出版されている。ゾラ、三六歳。

 偉大な作家は、言うまでもなく、従来にはなかった新しい作品を完成する人だろう。下層社会の細密画と言っていいこの作品は、パリの下町でどん底生活に転落していく余りにも窮乏したプロレタリアートを微にいり細をうがって描き尽くし、とうとうブランデー中毒で狂死してゆくクーポー夫妻を描いたすさまじい終局に至って、ボクはゾラに一礼して本を閉じた。

 こんな本を高校時代に読んでいたワイフに感心した。ボクといえば、六十代も後半になって、やっとフランスの自然主義文学の中核になっていた作品を、ワイフを偲んで、楽しんだというのに。

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