ノーマン・メイラーの「鹿の園」

 この本の奥付を見ると、昭和四十四年四月二十五日発行となっている。初版本である。付帯された月報は(1)となっているので、全八巻の全集の第一回配本、そう推定出来る。ボクのワイフは二十一歳。噂によると、社会主義者であり、マルクスの「資本論」を愛読し、トロツキストを自認するこの作家の全集が出たので、待ってましたとばかり、本屋さんへ走ったのだろう。彼女のウキウキした姿が眼に浮かぶようだ。

 ノーマン・メイラー全集第四巻「鹿の園」(山西栄一訳、新潮社)

 ボクはノーマン・メイラーの作品を読んでいない。また、とりわけ読んでみたいとも思わなかった。ただ、ワイフを偲ぶために、彼女の遺品となった本をずっと読み続けているが、その中にこの本があった。

 一九五〇年前後のハリウッドの映画界が舞台。主役は、レッドパージでハリウッドから追放されてデザート・ドォに引きこもっているハリウッド映画の名監督と第二次世界大戦で日本に焼夷弾をばら撒いてもさほど痛みを感じない青年米国空軍パイロット。このパイロットは進駐軍でやって来た東京で軍隊仲間と賭博をやって大金をせしめ、その金を持ってデザート・ドォに滞在中、名監督と出会いお友達に。女優、情婦、男色家の映画スター、ちょっとイカレタ映画スター、映画会社の社長、プロジューサー、女衒、バーのマダム、石油成金、赤狩りの議員とその雇われのヤクザまがいの探偵、なにをやってるか正体がつかめない大物と彼の何度目かのイギリス人のワイフ、あるいはコールガールなど、彼等が織りなす、酒・ドラッグ・セックスまみれの奇妙な地獄絵図。こう言ってよければ、ハリウッド映画を否定し粉砕するステキなハリウッド映画を見ている気持がした。

 まだ三十そこそこでこれだけの表現力を持っている作家の長編小説を読んで、ボクは感心した。ちなみにこの本の原書は米国で一九五五年九月に出版されている。

 それにしても、なぜボクのワイフは第一回配本の「鹿の園」を読んで、それ以降発売されたノーマン・メイラーの作品に手を出さなかったのだろう? 

 ボクの推理はこうだ。確かに小説としてはスバラシイ作品で、読者を最後まで引っぱっていく強烈な筆力。砂漠の中にポツンと存在するデザート・ドォという街の中で連日繰り返される空虚な性地獄の果てしない反復。小説好きのボクのワイフもこの作品を楽しんだに違いない。だが、まだ二十一歳のボクのワイフには、「鹿の園」に登場する女たちの繊細かつ大胆な描写に感嘆しながら、同時に、結局、彼女たちは作者の操り人形。「ねえ、ノーマンさん、女って、あなたのおもちゃなの?」、そうつぶやいて、本を閉じていた。

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