トルストイの「復活」

 ボクはトルストイのいい読者ではない。彼の三大長編小説といわれている中で、ボクは「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」しか読んでいない。「戦争と平和」は二十歳前後の頃に読んだのだが、それというのも、あの当時、つまり四十五年くらい昔の話だが、マルクス主義の唯物史観で歴史を解釈するのが主流で、ある日本の唯物論哲学者が「戦争と平和」の歴史観を高く評価していて、それに後押しされて読んだ記憶がある。いわば教養としての読書だった。「アンナ・カレーニナ」は四十歳前後の時に読んで、おそらく長編小説好きのワイフに影響されたのだろう、彼女の言うとおり、「トテモオモシロイ」小説だった。

 しかし何故かこの小説にはまったく手を出さなかった。

 世界文学全集Ⅱー11 トルストイ「復活」(中村白葉訳、河出書房新社)

 発行日は、昭和46年5月10日第21版となっているから、ワイフは二十三歳くらいの時に読んだのだろう、その数ヵ月後、ボクと同じ屋根の下で暮らし始めたのだが。

 この小説には二本の線が引かれている、カチューシャという社会の底辺に落ちていく女の線と、彼女が転落する原因を作ったニェフリュードフという貴族の男の線と。結局、この二本の線は平行線でついに交わることが出来なかったが。

 トルストイはこの小説を一八九九年、七十一歳の時に発表しているが、彼の晩年の思想をニェフリュードフが代弁していて、非常に興味深い。それは当時のロシアの貴族社会と教会を否定する急進的な無教会主義と言っていい。余談ではあるが。彼は年下の哲学者ニーチェの「いっさいは許されている、禁じられているものは何もない」という考え方を批判して、この考え方は人間を「浮浪漢同様の者にしてしまう」(同書464頁)と言っている。

 この本が出版されてから六年後、一九〇五年、所謂「血の日曜日事件」が勃発し、ロシア革命へ発展していくことは、周知のとおりである。「復活」は貧しい農民、虐げられた百姓に対して貴族であり地主であったトルストイの自己否定の書であった。「こうして、彼にはいまや、多くの人が苦しんでいる恐ろしい邪悪から救われるただ一つの疑いない道は、人々がつねに神のまえに自分を罪人とみとめ、したがって、他人を罰したり矯正したりする力は自分には絶対ないものと悟ることだけにある、こういうことが明瞭になった」(同書495-496頁)。

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