2010年9月7日。中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突。まだ記憶に新しいと思うが、いわゆる「尖閣諸島中国漁船衝突事件」。
2010年10月19日。ご近所のS夫妻とボクとワイフと四人連れで西安に。上海に一泊。翌日、西安に向かった中国東方航空に搭乗中。窓側にワイフ、その左にボク、そして通路側のシートに鳥打帽を被った中国人の中年男性。男は、その当時の日本の外務大臣前原誠司が第一面に写った中国の新聞をボクの横でごそごそ拡げ、その写真を表面に四つ折にして右手でつかみ、左手の掌上にパンパン叩き続けていた。
717年。まだ二十歳だった日本人が遣唐使として唐の都「長安」を目指していた。阿倍仲麻呂。周知のとおり、彼は唐の皇帝玄宗に認められて大出世し、日本へは帰国できないまま、長安、現在の西安で没した。彼の碑が西安の康慶宮公園にある。碑には仲麻呂の歌「あまの原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」が中国語で刻まれている。
804年。三十一歳の空海が遣唐使に同行して唐に出発。蛇足ながら、言うまでもなく、この時代の遣唐使は命を賭した旅だった。空海は既に日本で中国語はマスターしている。そして長安の青龍寺で恵果の下で学び、ボクのような劣等生には驚くべきことだが、二ヶ月くらいで梵語をマスターした。そして阿闍梨の資格を持つ恵果から灌頂を受け、後継者として認められている。
空海コレクションⅠ 宮坂宥勝監修、頼富本宏訳注 ちくま学芸文庫
この本には、空海の著作「秘蔵宝鑰」「弁顕密二教論」が収められている。ボクには空海の言っている密教の境地はよくわからない。儒教やヒンズー教や南都六宗のようなさまざまな考え方に対して、密教の考え方を主張している。南都六宗のような仏教の顕教の場合、まったく悟っていない人々、あるいはまだ完全には悟っていない人々に仏が説法するスタイルが基本になっているので、比較的わかりやすい。ところが空海のいう密教レベルになると、仏が仏に向かって語っている、もしこういってよければ、仏の独言、そんな感じがして難解だ、ボクはそう思った。ボクが法性身の境地になっていなければ法性身とお話なんてとても出来ない、そうじゃないか。
それはさておき、ワイフが亡くなって二年余り、彼女は暗愚なボクを救済するためにこの世にやって来た化身仏だ、ボクにはこんな事実が見えるようになってきた。詳細は別のところで書いているのでそれにゆずるとして、この「空海コレクションⅠ」の以下のような仏典の言葉を読むにつれ、その意を強くした。
『菩提場経』に言う、
「我、この世界に於いて、五阿僧祇百千の名号を成就し、諸の衆生を調伏して成就せり」(本書333頁)
『大智度論』にまた言う、
「仏に二種の身有り。一には法性身、二には父母生身なり。(中略)。常に種種の身、種種の名号を出だし、種種の生処にして、種種の方便を以て衆生を度す。常に一切を度して須臾も息むことなし。是の如きは、法性身の仏なり」(本書397頁)
つまり、ボクのワイフ、えっちゃんという名号だけではない。仏は無数にある。過去・現在・未来の生きとし生けるものすべて仏ならざるものはない、こういっている。
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