「水俣がこんなに近いんですね。お寄りする前に水俣駅周辺を少しぶらぶらしました」
「山下さん、わたしは、あれには怒ってるんです」
ボクのような若造がこんな感慨を洩らすのは、失礼かもしれない。しかし、「怒ってるんです」と少し唇がもつれ気味におっしゃった時、星野先生はまるで子供が怒っているみたいに純粋で真剣な表情をしておられた。この瞬間が、懐かしい映像を観ている様に、今でもボクの眼前に流れている。
まったく個人的な思い入れに過ぎないかもしれない。だが、読み終えたばかりの本書の中で、星野先生の文に「鈴木亨」の引用があり、法蔵館から出版されている「畢竟」で滝沢克己を囲んで一緒に対談もされていた記憶があるが、もう三十年以上昔の読書体験を思い出し、早速本棚を探した。1982年4月15日に発行された「生きる根拠を求めて」、1983年1月31日発行の「響存的世界」(改版)、共に三一書房から出版されているが、鈴木亨が書いた二冊の本を見つけた。いつかもう一度読んでみよう。
以下に星野先生が鈴木亨に言及された本書の文を引用する。ただこの文を理解するためには、その前提になる親鸞における「信」と真仏土と化身土についてある程度の勉強が必要だが、興味がある方は、直接「講解教行信証」を読んでいただきたい。
「無量光明土の浄土は肉体の死等には関りなく常に私たちの脚下に現在するのだ。ただそれが逆接的(鈴木亨・哲学の用語を借用)にあるが故に、娑婆の衆生にとっては、自己が逆転しないかぎり浄土は無限の彼岸にあるのである。自己中心主義的に人間があるかぎり、彼は脚下にある浄土に思いおよばず、それを対象化して、願生の対象としてしまうのである」(1727頁)。
「講解教行信證 化身土の巻(本)」 星野元豊著 法蔵館 昭和58年4月10日発行
この「化身土巻」では、行者が他力ではなく自力によって極楽無為涅槃界、すなわち浄土に往生しようとして、その辺地、化身土におおよそ五百年間留め置かれ、涅槃の境界に至らないことを明かす。まず「観無量寿経」の第十九願に従ってさまざまな定善散善の修行に打ち込むが、所詮煩悩具足の凡夫、浄土の辺地にある化身土に迷ってしまう。それならば、今度は「阿弥陀経」の第二十願に従って、自力で念仏に専修するが、結局、自力根性の泥凡夫、常に弥陀に護られているという安堵がなく、ただあくせく一念に念仏するが、命終、化身土に迷う。既に「教行信証」信巻で学んだとおり、最後に、「大無量寿経」の第十八願に至って、すべての自力のはからいを捨て、阿弥陀仏の本願に身をまかせ、絶対他力の南無阿弥陀仏一声、即得往生、真仏土(浄土)に化生する。所謂「三願転入」の次第が語られている。しかし、浄土に往生したからといって、あくまで「煩悩即菩提」という事態である。煩悩の身になんら変りはない。そのままである。ここのところを星野元豊はこのように表現している。引用する文に書かれた「機」はもちろん「人」のことである。
「第二十願の機と第十八願の機との違いは、人間の主我性が捨てられたか否かの点である。主我性が完全に投棄されたのが第十八願の機である。従って両機は共に煩悩が具足しているという点に於ては同一である。すなわち両者共に大慶喜心は現実には煩悩の為に起こらないのである。また真の仏恩報謝の念も根本的にはおこりえないのが普通であろう。ただ第十八願の機においてはいつも意識にのぼっていないとはいえ、その機の事態そのものが仏恩報謝の態勢にあるということができる。ただ煩悩のはたらきによって喜ぶべき心がおこるのがおさえられているのである」(1925頁)
「信」の問題に関して言えば、最近、ボクはこんなふうに思うようになってきた。仏教における「信」というのは、確かに仏説を信じることが前提にあるのだろうが、仏説もさまざまで、八万四千余りの門がある。どの門から入って無上涅槃をさとるのか、煩悩熾盛のボクにはわからない。あれこれ自分で考えて迷うところである。しかし、たまたま縁あって、得道の人を知り、その人を信じて仏門に入る。これが真実の信なのだろう。ボクは去年の十二月頃から仏教の本を中心に読書を楽しんでいるが、例えば空海の場合、その著作「請来目録」に書かれている通り、長安の青龍寺の恵果和尚との出会いがなければ、真言宗は存在しなかったであろう。もちろん、言うまでもなく、法然と親鸞の出会いがなければ、たとい浄土三部経ありとはいえ、浄土真宗がこの世に立つことはなかったと言わねばならない。
ここのところを星野元豊はこのように表現している。善導の「散善義」の文の一部の原文と書き下し文、著者の「検討」を引用する。
<前略>何以故同軆大悲故一仏所化即是一切仏化一切仏化即是一仏所化<中略>此名就人立信也
<前略>何を以ての故に、同体の大悲の故に。一仏の所化は即ちこれ一切仏の化なり。一切仏の化は即ちこれ一仏の所化なり<中略>これを人について信を立つと名づくるなり。
「解釈でものべたように、文の当面では同体の大悲は弥陀、釈迦、十方諸仏が同体の大悲のはたらきであるということは、更に拡げて考えるならば、相承の祖師も同体の大悲のはたらきであったというのが、親鸞の理解であったといえよう。<中略>。親鸞が『ただ道ありと信じて、すべて得道の人ありと信ぜざらん。これを名けて信不具足となすといえり』という『涅槃経』の文を二度まで引いているごときをみても、いかに得道の人のあることを信ずることを重視したかを知ることができるであろう。<中略>『念仏は、まことに浄土にうまるゝたねにてやはんべるらん。また地獄におつべき業にてやはんべるらん。惣じてもて存知せざるなり。たとひ、法然上人にすかされまいらせて、念仏して、地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずさふらふ。』(歎異抄二)というのは、法然という得信者に対する絶対の信である。それは理知によって判断して後の信ではなくして、得信者に対しての自己投棄である。この信の決断こそは第二十願から第十八願の信への飛躍的転換である。これなくしては自力の凡夫は第十八願の他力弘願へ転入することは不可能なのである。わたくしはそこに真門において就人立信の説かれた意義を認めたいと思う」(1864~1870頁)
やはり本書にもあちらこちらに、引用したくなる論が提示されている。これもそのひとつ。
「注意したいことは、不実の功徳と真実功徳の区別である。この見解からすれば、道徳的善も有漏(煩悩)の善であるかぎり、みな顚倒したものであり、虚偽であり、不実である。無漏の善すなわち宗教的善のみ真実功徳である。われわれはこの絶対的な判定をしっかりと心にたたきこんでおく必要がある。往々にして宗教的善も道徳善も混同しがちであるからである。有漏の善は顚倒したものであり、虚偽であるということは真諦的立場からの発言である。従ってこの立場からは世上一般の道徳は否定される。この立場を根柢において宗教と道徳の関係は考えられなければならない。真の道徳の樹立はこの立場に立って、そこからなされねばならない。そこに真宗の道徳論とでもいうべきものが形成されてくるのであって、それなしに安易にいわゆる倫理道徳を肯定することは危険である。過去幾度かなされた誤りはここに基いているのである」(1794~1795頁)。
奥を見すえた深い洞察である。ボクのような無信仰の老体がコメントするのも憚られるが、すなわち、宗教的真理を世俗の道徳や正義のためにゆるめたり、混合したり、迎合したり、あるいは安易に宗教的真理でもって世俗の道徳や正義を肯定・推薦したりするのは、少なくとも、たび重なる権力からの弾圧を忍び南無阿弥陀仏の一行に生かされて生きた親鸞の主旨にそむくことだろう。
化身土巻(本)の末尾には、所謂「正像末法滅」それぞれの時代の特色とそれに対応する仏教の在り方が書かれている。親鸞は、浄土を表現するのに「涅槃教」をもってしているように聖道門の根源を否定しているわけではなく、現実的に考えて、聖道門の自力修行は仏滅後五百年までのまだ釈迦の残香が反響している正法の時代に成立する門であって、像法千年・末法一万年・そして仏説が消滅する法滅の時代の煩悩具足の衆生には自力の得道は不可能であると。
興味尽きない論述が展開されているが、像末から末法の時代の僧の在り方を描写したもので、ボクの心を打った一文を下にあげて、無学拙文の感想の幕を閉じる。
仏告阿難於将来世法欲滅尽時当有比丘比丘尼於我法中得出家己手牽児臂而共遊行彼酒家至酒家於我法中作非梵行彼等雖為酒因縁於此賢劫中当有千仏興出我為弟子
仏、阿難に告げたまわく、将来世において、法滅尽せんと欲せん時、まさに比丘・比丘尼ありて、わが法の中において出家を得たらんもの、おのれが手に児の臂を牽きて、共に遊行してかの酒家より酒家に至らん。わが法の中において非梵行を作さん。かれら、酒の因縁たりといえども、この賢劫の中において、まさに千仏ましまして興出したまわんに、わが弟子となるべしと。
仏が阿難にいわれた。将来、この世で仏法が滅尽しようとするとき、わが教を奉じて比丘となり、比丘尼となるものがあって、その人たちが自分の子の手をひいて遊び歩き、また酒楼から酒楼へと遊びまわって乱行し、わが法の教を受けながら淫欲にふけるだろう。彼等は酒のためにこのようなことをなしたにしても、いまの賢劫の中にあって、千人の仏がこの世に現れてこられるときには、みなわが仏の弟子となるであろう。(1993~1995頁)
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