この本をボクは二十七歳の時に読んだけれど、読後、西暦100年前後に北インド辺りで書かれた仏教徒の宗教的ユートピア論だと思った。物質的・経済的に貧しい人々を底辺で働かせて、ほんの一握りの軍事力を持った権力者が贅沢三昧の生活を送る、基本的にはそういった社会構造の時代だっただろう。従って、その頃の仏教徒が描いた<幸あるところ>、つまり極楽・浄土というユートピア幻想も、金・銀・宝石でゴテゴテ荘厳されたまるで成金趣味の贅沢三昧ではないか、彼等は貧しい人々にこんなケバケバしい死後の世界を約束していたんだ、多少不愉快な気持にならなくもなかった。
「浄土三部経」上 岩波文庫 1976年6月20日第14刷
「浄土三部経」下 岩波文庫 1976年6月20日第14刷
(上下巻とも、中村元、早島鏡正、紀野一義の訳註)
四十年余りの歳月が流れた。
三年前、ワイフを喪い、この歳になって初めて、無常を知った。仏教では五苦と言っている。生の苦、老の苦、病の苦、死の苦、そして愛別離苦。何故わざわざ愛別離苦など立てる必要があるのか。生老病死の四苦ですべての苦が収められているのではないか。けれども、ワイフと死別して、仏教が人間の根源的苦しみのひとつに、愛別離苦を立てた深い意味を、身にしみて覚えるのだった。
岩波文庫の上巻は「大無量寿経」のサンスクリット原典の現代語訳、漢訳、その書き下し文、詳細な註、関連文献の紹介、あとがき。下巻は「観無量寿経」の漢訳の現代語訳(「観無量寿経」はサンスクリット原典が失われている)、漢訳、その書き下し文、「阿弥陀経」のサンスクリット原典の現代語訳、漢訳、その書き下し文、詳細な註、関連文献の紹介、中村元の解説、三氏のあとがき、以上で構成されている。註では、サンスクリット原典から始まり、善導、法然、親鸞に至るまで、その基本的な思想をわかりやすく説明している。そして、三氏のあとがきも是非お読みいただきたい。すばらしい、その一語に尽きる。
若い頃には見落としていて、それはそれで自然なことだが、この歳になって、「大無量寿経」のこんな一文に目頭を熱くするのは、ボクひとりだろうか。
弥勒菩薩は仏に申して、こう言う。……仏の説きたもう法を聞いて、歓喜しないものはありません。……さらに、こう言う。
諸天人民蠕動之類、皆蒙慈恩、解脱憂苦。
もろもろの天・人民・蠕動(ねんどう)の類、みな慈恩を蒙むりて、憂苦を解脱せり。(上巻184頁)
註には、「蠕動の類」をこう説明している。
「みみずのごとく身を屈伸して地をはう虫けらのたぐい。」(上巻335頁)
賀古の教信は極貧の中、庵の西壁の窓から、昼夜を問わず、帰命尽十方無㝵光如来、一心に称名して浄土往生を願生したという。最近、ボクは教信が夕日に向かい合掌して念仏している夢を見た。そもそも無信仰のボクが天才教信のごとく昼夜を問わず念仏はとても及ばず、ただ、辺りがたそがれ始めると、近くの芦屋川の河口まで足を運び、六甲山に沈む夕日に向かって合掌している。河口の水面も風にゆらめく草木の葉も、黄金色の光にキラキラしている。目を閉じると、内部が黄金色にあふれている。「観無量寿経」の第一観、最初の瞑想、日没を観想する<日想観>。自心に夕日の映像を残す。
「観無量寿経」の最後の観想、第十六観。その中の「下品下輩」の救済劇。下品下輩とは五逆罪を犯した者。すなわち、父を殺し、母を殺し、阿羅漢を殺し、仏身から血を出し、仏教教団を破壊する五つの罪。この罪人が命終する時に臨んで、善知識は告げていう、「汝よ、もし仏を念ずることあたわざれば、まさに無量寿仏の名を称うべし」。罪人は至心に「南無阿弥陀仏」を称名し、命終る時、一念の間に極楽に往生した。(下巻71~72頁)
世俗の世界では、父を殺したり母を殺したり偉大な宗教家を殺したりすれば重罪、死刑が廃止されていない国家なら、死刑で処罰されるかもしれない。しかし仏の論理では、五逆罪を犯した罪人を救済するのである。ここには世俗的論理では理解出来ない、それを超越した仏の思惟がある。浄土を建立した法蔵菩薩は五劫にわたって思惟した。
さて、「阿弥陀経」の中で、仏は弟子の舎利弗にこう言われた。衆生は願を発して極楽浄土に生まれるように願うべきである。その理由はこうである。
得與如是諸上善人倶會一處
かくのごときのもろもろの上善人とともに、一処に会うことをうればなり。(下巻93頁)
訳者の註にはこう書いている。
「この『倶会一処(くえいっしょ)』の思想は、浄土願生者の宗教意識を高めるのに与って力があった。父子・兄弟・夫婦が再び浄土において同じ縁(えにし)を結びたいと、愛別離苦のかなしみを超えて同一念仏の信仰に生きた人々の浄土信仰史を繙けば、この間の事情を知ることができよう。」(下巻156~157頁)
あらためて浄土三部経を読んで、やっと人生のスタートラインに立った気持がした。三界を流転する無数の生きとし生けるものの悲しみがあって、しかし無数の救済の道が見える。
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