この詩人の作品の本質を言えば、「海を見つめる言葉」といっていいだろう。そこにはもちろん海はある。そして海につつまれて突堤があり、無数の波があり、突堤に打ち砕かれたしぶきがあがり、両耳には騒ぐ海の音と、頭上から落ちてくる鳥の声。遠くでは水平線が空をつつみ、海につつまれた空に雲が浮かんでいる。
「浜辺にて」 さとう三千魚著 らんか社 2017年5月25日発行
この「海を見つめる言葉」は、詩的言語で日録を語り続けている。海を語り、街を語り、路地裏を語り、朝食のメニューを語り、母を、その死を、姉を、飲み屋を、その飲み屋で共に座る友を、美しい女を、写真を、夢を、仕事を、仕事のために乗る新幹線を、その車窓に流れる風景を、また、湯舟を、そこに横たわる自分という裸の人を。2013年6月9日から語り始め2016年10月10日で中断する日録詩。つまり、まだすべてを語らんとする途上にあるのだろう。だから、最終605頁の2016年10月10日に書かれた最後の日録詩は、「beginning 初め 最初」と題されている。
一例をあげておく。この詩集からランダムに一篇を選んでみる。去年の5月18日に書かれた作品。個人的な話になるが、この日はボクの誕生日だから。
piece ひとつの ひとかけらの
2016年5月18日
代々木に
行ったのだった
昨日は
仕事で
代々木に行き
新宿にでて
神田にもどり
それから
京浜東北線で石川町まで行ったのだ
電車のなかで
眠ってた
帰りは車窓の景色を見てた
流れさるものたちに
言葉はなかった
雨が降っていた(本書545頁)
じっと語られている言葉を見つめて欲しい。すべての言葉はまるで海の沖から岸辺へ打ち寄せてくる波や漂着物のようではないか。
流れさるものたちに
言葉はなかった
最近ほとんど一歩も家から出ない頑固なボクも、たまには高円寺のバー「鳥渡」へ出かけてこの詩人と酒でも飲みたい、そんな誘惑を秘めた詩集でもあった。ただ、詩人は既にドクターストップがかかっているのかも知れないが。
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