世界の詩集第1巻「ゲーテ詩集」

 この詩集はワイフの遺品である。全十二巻の第一巻。ボクは彼女がこの世を去ってから、遺された彼女の本を出来る限り読んでしまおう、特にボクと出会う前に彼女が読んでいた本を。この詩集もそんな本の中の一冊である。

 世界の詩集第一巻「ゲーテ詩集」 手塚富雄訳 角川書店 昭和42年4月10日初版発行

 おそらく彼女は十九歳の時にこの詩集を手にした。本の小口が多少汚れ、よく頁が繰られた跡があり、この詩集を愛したのがわかる。ボクは十代の見知らぬ彼女を夢想する。そういえば、高校生の頃ゲーテの「若きウェルテルの悩み」が好きだった、同じ屋根の下で暮らし始めて間もなく、そんな会話をかわした彼女の表情が妙に鮮やかに脳裏へ浮かんでくる。

 ボクはゲーテのいい読者ではない。二十歳前後で「若きウェルテルの悩み」、三十歳前後で「ファウスト」、それに岩波文庫で何冊か出ている「ゲーテ詩集」、読んだ記憶に残っているのはその程度である。

 さて、この詩集の半ば以上は所謂恋愛詩である。封建制度が崩壊して資本主義社会が確立していくさなか、フランス革命からナポレオンの世界制覇の野望とその挫折、そうした動乱の西欧の中で、最後まで自由人として生き抜いた巨匠。従って、六十代になっても自由恋愛の詩を書き続け、また実際にさまざまな恋愛を経験し、さまざまな女性を愛し続けた在り方も、現代の一夫一婦制の観念を突き抜けている。彼は「生きることは大きな祝祭」(「春の歌」最終連122頁)と歌っているが、「祝祭」とは何かといえば、続けてこのように高唱する、「万一愛に終わりがあれば/世に花はない 幸もない」。

 この詩集を読んだ限りで言えば、自由恋愛も含めて、彼の思想はヨーロッパから発生したヒューマニズム、人間中心主義の立場に立っている。

 人間は気高くあれ、

 慈愛(なさけ)深く善良なれ。

 それのみぞ

 われらの識る

 あらゆる存在より

 人間を区別する。

 <中略>

 ただ人間のみが

 <中略>

 目あてなく交錯するすべてのものを

 有用に結合することができるのだ。(「神性」184~187頁)

 だが、いまのボクの心境としては、次のようなエピグラム風の詩にも関心を寄せている。ゲーテには自由恋愛や人間性の高揚感を歌った、言わば躁状態における言葉と、逆に人間を冷徹に見つめるほとんどウツ状態の言葉、この二つの状態の言葉が美しく結合している。

 これは、どちらかといえば、ウツ状態の言葉。

 歳月はこの上なしの交際上手、

 昨日もとどいた贈物、きょうも前貸ししてくれる。

 そこでわれわれ若い日を

 ついうかうかと遊び過ぎ。

 ところが歳月気をかえて

 急に見せだす渋い顔。

 もうしてくれぬ贈物、前貸しなどはなおのこと

 今日も取り立て、

 明日も取り立て。(「歳月」233頁)

 もう一題。「平等」というエピグラム風の、やはりウツ状態から冷徹に吐き出された言葉をご紹介してこのブログを閉じる。

 図抜けて大きいものには

 たれしも及びもつかぬとあきらめる。

 めいめい自分と同等のものだけを嫉(ねた)むのだ。

 世界でいちばん悪性のやっかみやは

 誰をみても自分と同等と思う男。(237頁)

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