シュトルムの名前を初めて知ったのは、十代に読んだ立原道造の詩集「萓草に寄す」の中だった。詩集の中の一篇「はじめてのものに」を読んでいて、「エリーザベトの物語」という一語に出会った。確か巻末の注釈で、シュトルムの小説「みずうみ」からの引用だと知った。その縁で、ボクは「みずうみ」を読んだ。こうして、いつのまにか言葉の海がボクの中でずっと広がっていくのを覚えた。
世界の詩集5「シュトルム詩集」 藤原定訳 角川書店 昭和42年11月10日初版
この本もワイフの遺品である。彼女がこの本を手にしたのは二十歳の時である。
シュトルムは一八一七年に北ドイツのフーズムで生まれている。彼は郷土の伝説や民謡・おとぎ話に精通していて、アンチクリストであり、来世の幸福を信ずることなく、この世であたえられた時間を幸福に生きんと意志した人である。個人的な話になるが、無宗教のボクには、わかりやすい詩人である。
彼は三十歳前後からスバラシイ詩を書き始めた。コンスタンツェという女性と婚約しながら、ドロテーアという少女と情熱的な恋愛をし、愛しあいながら別れ、婚約したコンスタンツェと結婚生活を続けた。その時、ドロテーアに捧げた恋愛詩が、トーマス・マンをして「トニオ・クレーガー」を書かしめるほど、名品である。おそらく立原道造もこの辺りの詩群に感銘している、ボクはそう思う。その詩群の中から、一篇を掲げる。シュトルム三十一歳の作品。
時は過ぎ去り
時は過ぎ去り 知らぬまに
君はそおっとしだいしだいに ぼくの胸から遠のいてゆく。
ふんわり君をおさえつけ ひきとめようとしてみるが
わかってはいる 君をゆかせるほかはない。
では君が ぼくからはなれ、とおい世界へ去ってゆく前に
もういちど ぼくに感謝のことばを言わせてください。
それにもう どう取りもどしようもないことを、
眠られぬ夜 なつかしがることがないように。
ぼくはここにいて せつなく過去をふりかえり見るが
こういう時さえ すぎてゆきます
どれほどにたくさんの時が 君とぼくとに与えられても
そのひとときをもう ぼくらはいっしょに生きないでしょう。(48頁)
愛しあっていながら、同時にその時を追想しているかのように、愛する心の底に既に別れの時がやって来ているかのように、切実な言葉がつづられている。立原道造にも通じる、恋愛という不思議な心の働きだろう。
それならば、シュトルムの結婚生活は悲惨なものだったのか。違う。歳月とともに、シュトルムと妻コンスタンツェとの愛情は深くなっていく。彼女は、一八六五年、七人目の子供を産んだ後、産褥熱で他界する。翌年、シュトルムは彼女との約束どおり、かつての恋人ドロテーアと再婚する。しかし、コンスタンツェとの死別から十年後、シュトルム五十八歳の時にこんな詩を書いている。
荒野をゆくと
荒野をゆくと ひびくのはぼくの足音、
地面からにぶいその音がして いっしょにさすらう。
秋になり、春はとおくだー
いつか 幸福な時があったのだろうか?
このあたりに たちのぼる霧はゆうれいじみて
草はくろずみ 空はただむなしいばかり。
五月にぼくがここを 歩いたことがなければよかった!
人生と愛ー飛び去るようにすぎてゆく!(191頁)
おそらく男と女が、もちろんそれが同性同士であっても、最高の甘美の歳月をふたりで暮らし、そしてパートナーに先立たれた時、残された者には「ただむなしいばかり」という感情に打たれるであろう。そうしてまた、「五月にぼくがここを歩いたことがなければよかった!」という絶唱は、身につまされる。残された者の人生の晩年の思い。小品ではあるが、名作といって過言ではあるまい。
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