この本を買ったのは十九歳の時で、もうかれこれ五十年近く昔のお話。おそらく最後まで読もうとはしたのだろうが、途中で投げ出してしまった。ボクの悪いクセで、八割九割がた読み終わっていても、おもしろくない、そう思ったら最後、その本を投げ出してしまう。
最近、昔投げ出した本を拾い上げて、もう一度読み返している。この本もそうだが、今回は最後まで読み通した。今回は、おもしろい本だった。スバラシイ。こんなスバラシイ思想家もいたんだ。
ルカーチ著作集第十二巻「理性の破壊」(上) 1968年10月20日初版 白水社
ルカーチ著作集第十三巻「理性の破壊」(下) 1969年1月10日初版 白水社
(訳者は両書共、輝竣凌三、飯島宗享、生松敬三)
哲学の入門書としても最上級の本だ、そう思った。何故なら、ルカーチという哲学者は、評論家や哲学教師のような職業的思想家ではなく、もちろん学校で教育者として活動した時もあるが、基本的には革命家であり、彼の思想は現実の政治的・社会的状況の中で実践し、修正し、鍛え上げられ、磨きぬかれた、生きた思想だから。
この本は、おおよそ二十六年の亡命生活を終えてハンガリーに帰国し、一九五四年に出版されている。一言で言えば、弁証法的・史的唯物論の立場から、ヒトラーを代表者とするドイツ・ファシズム=国家社会主義のイデオロギーを批判したものである。しかし、国家社会主義というデマゴギーで第二次世界大戦へと至り最後に破滅したナチスの一時期だけを切り取って浅薄に批判したものではなく、厖大な資料を駆使して、ナチズムという非合理な世界観が生成・発展・確立されていく歴史過程を明らかにしている。すなわち、一七八九年のフランス革命に対して形成されたドイツの思想家のイデオロギーからこの書は始まる。もちろんそれに先だつ一五二五年のドイツ農民戦争で蜂起した農民の敗北にまでさかのぼって考究されている。(この結果、封建勢力による農民の抑圧が強化された。)
さて、周知のとおり、西欧の中でイギリスやフランスより遅れて資本主義国になったため、ドイツは所謂「ブルジョア革命」、つまり、市民が蜂起して封建的な王侯・領主・貴族などを打倒して資本主義を勝ち取った革命を経験していない。血を流し、苦労して手にした制度ではなく、出来上がった資本主義を輸入した国家である。従って、古い封建制度のイデオロギーを遺したまま、否、むしろそのイデオロギーを利用して上からの権力によってドイツは資本主義化された。
そのため、ドイツ人は、「お上の国家」という雰囲気のなかで、自主性を没却した状態のイデオロギーがきわめて重要な役割を演じている。一九二九年の経済恐慌の際、ヒトラーを代表者とするファシズムもこのドイツ人の古来の「いつもお上を念頭におく」奴隷本能を利用した。ドイツ人の軽信性と奇跡の期待。事態は絶望的かもしれないが「神の恵みをうけた天才」(ビスマルク、ヴィルヘルム二世、ヒトラー)は「創造的直観」によって「きっと」血路をひらいてくれる「であろう」といったふうに。(上巻P99~104参照)
日本も先進資本主義国から遅れて資本主義を輸入した国家である。言うまでもなく、具体的には、江戸幕府から薩摩・長州を中心にした武士連合へ権力が移譲され、「上から」資本主義化された国である。こういうわけで、イデオロギーの成立状況はドイツと近似している面が多々あり、そういう意味でも、ぜひ日本人にも読まれるべき本であろう。ナチス・ドイツは、ドイツ国民を戦争へ駆り立てるため、「宗教理論」ではなく「人種理論」のデマゴギーに訴えた。
非合理で神秘的で、そのくせアメリカの広告宣伝技術を賞賛する「人種理論」主義者のヒトラーやローゼンベルクたちは、日本という国にもこのように言及している。……日本の帝国主義者たちとの提携を含むベルリン=ローマ=東京「枢軸」は、日本人を「東洋のプロイセン人」として宣伝することをとりきめた。したがってここでも、人種理論はヒトラーやローゼンベルクにとっては、侵略的ドイツ帝国主義のたんなるプロパガンダの道具、たんなるアメリカの「石鹸広告」なのである(下巻P415~416参照)。そればかりではない。この本では長文の「あとがき」で、ファシズム=国家社会主義と第二次世界大戦後のアメリカ合衆国を中心にしたイデオロギー状況の同質性も分析され、興味深いものとなっている。
ナチズムの思想的代表者ローゼンベルクはその著「理念の形姿」の中で、国家社会主義の先祖としてこの四人を認めている。すなわち、リヒャルト・ヴァーグナー、ニーチェ、ラガルド、チェンバレン。この中でチェンバレンの考え方を若干ご紹介しておく。
チェンバレンは今日の文化について次のように言う。「今日の文化においてゲルマン的でないものは……病的要素である……、あるいはゲルマンの旗のもとに航行している外国商品であり……、それはわれわれがこの海賊船を撃沈してしまうまでは航行しつづける。」けだし、「もっとも神聖な義務は……ゲルマン民族に奉仕することである。」(下巻P378参照)
この本ではフランス革命からナチスの破滅、そして戦後の数年間に至るまでのドイツを中心にした非合理主義的な、理性の破壊の道を形成した哲学者、社会学者、法学者、歴史学者、人種理論などが地道に批判されていく。ルカーチによれば、彼等は意識しようが、それと意識しまいが、彼等のその時々の状況に対する反動的な思想が、長い歴史の中で終に国家社会主義=ナチズムへ高揚する。比較的日本でも知られている思想家を列挙してみる。シェリングの後期哲学、ショーペンハウアー、キルケゴール、フッサール、ベルグソン、ディルタイ、ジンメル、シュペングラー、ハイデガー、ヤスパース、マックス・ウェーバー、トインビー、ヴィトゲンシュタイン、あるいは小説家のドストエフスキーやフォークナー、カミュなども出てくる。さまざまな考え方はあるかとは思うが、こういった哲学者や社会学者や文学者が好きな方は、この本を読まれるのも一興ではないか。
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