虐殺の日が近づいた。信じられない話だが、改良か革命かの政治方針で激しく論争したとはいえ、かつてドイツ社会民主党の同志、エーベルト=シャイデマン一派の両手が、全身が、ローザの血で紅く染められる日が来た。
ローザ・ルクセンブルク選集第四巻 1970年1月10日新装第一刷 現代思潮社
(訳者 田窪清秀、高原宏平、野村修、救仁郷繁、清水幾太郎)
一九一四年八月四日、ドイツ社会民主党の議員は国会で戦費予算に賛成し、ドイツ帝国のロシアに対する開戦、いわゆる第一次世界大戦を支持し、労働運動のインターナショナルが事実上壊滅する。何故なら言うまでもなく、帝国主義戦争は基本的には国家間の支配者階級の利害対立によって勃発するが、実際に戦場で闘い血を流すのは、敵・味方を問わず、ほとんどが労働者・農民である。インターナショナルの労働運動はすべての国の労働者がたがいの血を流す戦争に反対する、反戦運動でもあった。ドイツ社会民主党はインターナショナルな反戦運動に対立し、ドイツ帝国の軍国主義を支持した。
この時、ドイツ社会民主党員だったローザは、叫ぶ。ドイツ社会民主党は、「万国の労働者よ、団結せよ!」というスローガンを、「万国の労働者よ、たがいに相手の喉ぶえにくらいつけ!」、このように書き換えたと。
さらにローザは戦時下のドイツで、死を覚悟して、書いている。ボクにはほとんど痛ましい悲鳴に聴こえてくる。
「全世界の労働者の連帯こそ、わたしにとって、この世でもっとも神聖な、もっとも貴重なものである。それは、わたしの導きの星、わたしの理想、わたしの祖国である。この理想に背くよりは、むしろ死をえらぼう!」(スパルタクス・ブントの非合法ビラ、1916年4月。本書10頁)
カール・リープクネヒトとローザ・ルクセンブルクに象徴される偉大な革命家たちが虐殺されて、ドイツ革命が終焉していくのは、周知の通りである。この第四巻では、ローザがリープクネヒトについて書いた一九一六年のスパルタクス・ブントの非合法のビラがスバラシイ。「犬の散策」(20~24頁)、「リープクネヒトはどうなるか!」(25~29頁)、「リープクネヒト」(これは非合法ビラではなく『スパルタクス書簡』第一号。30~35頁)、「リープクネヒトはなんのために闘い、なぜ禁固刑をうけたか?」(36~44頁)。
社会民主党の国会議員であったリープクネヒトは、戦時下の一九一六年五月一日のメーデー参加中に逮捕され、軍事裁判の管轄下に移される。そして七月、非公開の軍事裁判で裁かれ、二年間の禁固刑と公民権の停止の判決。八月二十三日の第二審では原判決をうわまわる四年の禁固刑、六年の公民権の剥奪。
リープクネヒトはメーデーに参加しただけでこんな処分をうけたのか。いや、違う。ローザは続けてこう言う。
一九一四年十二月、国会議員の中でただひとりリープクネヒトは戦時予算案に反対投票を入れた。国会議員としてドイツ帝国の侵略戦争に反対の意思表示をしたのだ。その後も二度、反対投票している。そして、メーデーでも、「戦争をやめろ!」と演説した。つまり、彼の本当の罪状は、戦時下に平和のために闘ったからであった。
ローザは、リープクネヒトの処罰に反対する非合法のビラを書いている。一部を引用してみよう。
「労働者がいまも期待しうるのは、自分自身だけである。労働者自身の大衆行動、抗議運動の高まり、大衆ストライキの波状攻撃ーこれらの行動によって、労働者自身の実力をのばしてゆくよりほかない。リープクネヒトに対する恥しらずな判決が、人民殺戮に反抗するドイツ労働者階級の脇腹に突きつけられたドスであるならば、この判決にたいする抗議、リープクネヒトの釈放を要求する運動は、とりもなおさず、労働者自身の名誉をまもる闘いである」(42頁)
「数百万にのぼる生命が、塹壕のなかで日夜葬り去られてゆく事実をどう見るか? しかもそれは、労働者階級の奴隷化と、他人の儲けのためなのである。ドイツのプロレタリアは、資本の命令で命をすてることはできても、自己の名誉のためには、いかなる犠牲も払いたくないというのか? そんな馬鹿な話はない!」(43頁)
この第四巻に収録された文献は、ローザの死の三年前の四月の「あれかこれか」から、虐殺の前夜、一九一九年一月十四日の「ベルリンの秩序は維持されている」に至るまで、読みすすむにつれて、彼女に畏怖の念さえ覚えずにはいられないだろう。
さて、ブログにしては長時間にわたっておしゃべりし過ぎたので、残念ながら本日のメインテーマを詳細にお伝え出来ない。簡単に触れておこう。
ローザが一九一八年、ブレスラウ監獄で書いた「ロシア革命論」は必読書中の必読書だろう。彼女はまだ勃発したばかりのロシア革命を批判している。その批判の骨子は、レーニン・トロツキー体制の一党独裁政権にある。少数の革命エリート集団が国家権力を握り、広汎な人民大衆の積極的な、自由な、精神的な政治生活を潰してしまうものになっている。
「ソヴィエト政府の一切の反対者が出版の自由、結社や集会の自由を奪われている」(254頁)
続いてローザはこう言っている。少し長くなるが、ローザの言葉を傾聴したい。
「ブルジョア国家は労働者弾圧の道具であり、社会主義国家はブルジョアジー弾圧の道具である、とレーニンは言う。それでは、逆立ちした資本主義国家のようなものに過ぎない」(255頁)
「政府の支持者、或る政党のメンバーのみの自由というのはー支持者やメンバーがいかに多かろうとー決して自由ではない。自由は、つねに、思想を異にするものの自由である。それは、『正義』への狂信のゆえではなく、政治的自由がわれわれを教え、われわれを正し、われわれを浄める力、それがすべてこの本質に懸っているゆえであって、万一、『自由』が私有財産になれば、その働きは失われるのだ」(256頁)
とても信じられないことだが、監獄の中で自分の考えをこれだけ丁寧に、美しく発語出来る人がいたのだ。ローザ・ルクセンブルクの余りにも澄みきった眼が、あたかも将来のスターリン体制を透視したかのごとく。
お疲れ様でした。夜も更けました。芦屋芸術の第四回「ローザ・ルクセンブルク読書会」の幕を閉じます。ボクのようなプチブルインチキチャンゲンチャンの老後には、革命の将来についてあれこれ思いに耽るのも、ちょっとしたカンフル剤、長寿法のひとつかも。
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