ボクは、この本を三十三歳の時に手にした。おそらくボクの十代から三十代半ばくらいまで、芥川賞や直木賞を競い合う小説世界の喧騒から遠く離れて、ひっそりこんな本を開くのが、芸術作品の近くに住んでいる、そんなふうに感じていた若者もそれなりにいたのではないか。
「定本吉田一穂全集Ⅰ」金子光晴・西脇順三郎監修、吉田八岑他4名編集、小澤書店、昭和57年11月20日発行
この本は、1952年2月29日(昭和27年)に出版された第六詩集「吉田一穂詩集」を底本にした「定本詩集」、第六詩集刊行後に発表された詩篇を編纂した「詩篇拾遺」(但し、「夜の座」だけは1950年に「読売新聞」に発表されている)、単行本として出版された以下の詩集、すなわち、
1926年11月15日(大正15) 第一詩集「海の聖母」
1930年3月15日(昭和5) 第二詩集「故園の書」
1936年12月31日(昭和11) 第三詩集「稗子傳」
1940年5月20日(昭和15) 「海市」(詩抄。これは「現代詩人集Ⅰ」に第一詩集・第三詩集からの著者による自選集)
1948年3月31日(昭和23) 第四詩集「未来者」
1950年6月1日(昭和25) 第五詩集「羅甸薔薇」
また、「雑誌発表形」、「童謡・少年詩篇」、「雑詩篇」、ならびに「短歌篇」で構成され、吉田一穂のすべての詩業がこの一冊に収録されている。
例えば、一穂が十代で書いた短歌のこの一行を見ても、既にその後の彼の自我系孤独空間の言語作品を髣髴させる。
雪一丈こほりし土の下萌(したばえ)に青き草などゆめむわれなる(本書457頁)
この短歌は修正されていて、その前身は、こうである。
地下一丈凍りし雪の下萌に青き草など夢むわれなる。(本書486頁)
無機的な雪原の地下世界に横たわる生命体を夢みるこの我れ、言いかえれば、自我の根源に古代エネルギーを夢み、そのめくるめく生命の潮流に乗って、ただ独り漂流し探検する冒険家の象徴言語次元、そしてこの次元から生命エネルギーを圧殺する現代都市階級社会への憤怒の言語化。この大きな二柱の上に、吉田一穂はキラキラ星のような言語劇場を建設した。
また、ボクは、この歳になって、個人的な興味だが、こんなことも諒解した。……吉田一穂は自我系古代エネルギーを言語化したが、けっして宗教詩人ではなかった。宗教詩人の特質として、「自我」、もっと噛み砕いて言えば、「自分」という存在を絶対否定する作用が常に働いているのだが、彼にはそれがない。後期の「非存」(昭和27年「群像」に発表)という詩にも、絶対否定作用をうかがうことは、ボクには出来なかった。
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