昔、あちらこちら興味のおもむくまま拾い読みしていた本。そんな本がまた読みたくなって、本棚を探した。
「ギリシア抒情詩選」 呉茂一訳 岩波文庫 昭和45年9月30日第5刷
この詩選は、だいたい紀元前七世紀後半から、ほとんどが紀元前のギリシアの詩人の作品で構成され、若干紀元後数世紀くらいまでの詩人も含まれている。
中でも、サッポオは古代ギリシア文学にそれほど触れていない人でも、超一流の女性の詩人として、あまねく知られているだろう。
夕星(ゆうづつ)は、
かがやく朝が八方に
ちらしたものを、
みな もとへ
つれかへす
羊をかへし、
山羊をかへし、
母の手に
子をつれかへす(同書39頁)
この詩を日本で初めて翻訳したのは上田敏ではないだろうか。上田の訳を以下に掲げておく。
夕づつの清光を歌ひて
汝は晨朝(あした)の蒔き散らしたるものをあつむ。
羊を集め、山羊(やぎ)を集め、
母の懐に稚兒(うなゐご)を帰す。(「上田敏全訳詩集」岩波文庫136頁)
サッポオは紀元前七世紀末頃、レスボス島のエレソスで生まれている。しかし、この一篇の詩を読んでみるだけでも、古代ギリシア人であるか現代日本人であるかを問わず、人の心というものの普遍性に一驚するだろう。夕の星はすべての生きとし生けるものを元の家に帰す。確かに、こんな心の普遍性を発見するのも、文学の楽しみのひとつだと言っていい。
また、古代ギリシア人が犬やウサギやキリギリス、セミなどにどのような思いを抱いていたか、その一端を知ることが出来る詩も紹介されている。次の一篇は、「読人しらず」の作品で、路傍に立てられた飼い犬の墓に刻まれた墓碑銘である。
この小径(こみち)をおとほりの方、もしや
この墓碑を見とめたとても
どうか お笑ひ下さいますな、
よし犬の お墓にしても。
涙でおくられ、御主人の手づから
灰をかきあつめられたもの、
そのうへその方が また墓標に
この碑銘を刻んで下さいました。(同書194~195頁)
飼い主の愛犬への愛情とその別離の悲しみがせつせつと伝わってくる。
この詩集を読む楽しみのひとつに、古代ギリシアの人々とこのボク自身との心の同一性を発見する、彼等と共鳴する、そんな贅沢な時間を過ごすことにもある、こう言えなくもない。
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