ゴーリキイの「どん底」

 ボクの悪いクセだが、そして、同じようなクセを持っている人は結構いるんじゃないかと思うのだが、いずれ読もうと買った本が、そのまま本棚の片隅に眠っていて、もう買ったことさえ忘れている、そんな衝動買いに近い経験がボクには少なからずあった。きのう読んだ本も、その内の一冊である。

 「どん底」 ゴーリキイ作 中村白葉訳 岩波文庫 昭和41年10月10日第29刷

 こんな名作と呼ばれている作品でさえ、この歳になるまで読まなかった。確か高校生の時に買って、読もうと思って、とりあえず本棚に立てて、あれから五十年余りが過ぎてしまった。
 おそらく社会主義リアリズム文学の第一人者としてゴーリキイやショーロホフは評価されているのだろうが、ショーロホフの大作「静かなドン」もやっと去年読んだ次第である。
 「どん底」は、その言葉の通り、マルクスの言及した所謂「ルンペン・プロレタリアート」の「どん底」生活のひとこまを生き生きと表現した作品で、ゴーリキイはこの作品で世界レベルの作家として勇名を馳せた。
 だが、レーニンと交わり、更にスターリンと交わり、朱に交われば赤くなるではないが、聞くところによれば、時の権力に深くかかわらざるを得ない状況のなかで、作家という人生の栄光と悲惨の典型を生きたようだ。
 別にゴーリキイに嫉妬しているわけではないが、何事もほどほどがいいのではないか? 「ほどほど」の方が、勝手気ままに、自由にノビノビと生活出来るのではないか? まあ、ボクなどは、「ほどほど」という駅にも未だ到着しない、道半ば、ほとんど「どん底」すれすれの精神生活にあえいでいるのだが。

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