この表題の「ピカッ子ちゃん」は、文字通り、一九四五年八月六日午前八時十五分、広島に落ちた「ピカドン」のさなかに誕生した赤ちゃん、「ピカッ子ちゃん」だった。
ピカッ子ちゃんのお父さんは、外地に出征して戦死。身重のお母さんは、「ピカドン」で自宅は微塵に破壊され、逃げのびた先で急に産気づき、産婆さんもいない、ひとりの兵隊さんに助けられながら、ピカッ子ちゃんを生んだ。
この物語は、お母さんとピカッ子ちゃんのふたりが広島の廃墟の片隅で戦災孤児たちの暮らしを助けながら、原爆症と貧困の中でこの世を去った物語である。そして、この物語は、作者、正田篠枝がその当時見聞した事実を言葉にしたものだろう。
「ピカッ子ちゃん」 正田篠枝作 栗原貞子・小浦千穂子編集 太平出版社 1977年6月25日第1刷 1980年2月9日第7刷
この童話集は、表題の「ピカッ子ちゃん」、「赤いトマト」、「みっちゃん」、「玲子ちゃん」、「ネコのおはなし」、「おひがん」、「ちゃんちゃこばあちゃん」、ぜんぶで七つのお話で構成されている。作者の死後出版で、十三回忌を迎える年に、同じ被災者で作者と生前縁があった編集者ふたりの尽力でこの本はなった。
だが、童話とはいえ、すべてがあの原爆の日から始まった、さまざまな人の生活、その行く末を見つめて、書かれている。つまり、一言で言えば、原爆のもう取り返しのつかない、悲劇とも言えないあの悲劇は、自分の主観的な虚構を主張しようとする意識を完全に破壊して、事実に即した物語を書くように、正田篠枝を強制した。
戦前、この作者が、どのような作品を書いていたか、ボクは知らない。ただ、確実に言えることは、正田篠枝の代表作「さんげ」の鎮魂歌も、また、この本で表現された童話も、一切の虚構が破壊された、いま、ここに存在している真実を、一心に書こうとしている。余計なことはおしゃべりしないで、基本的には、事実とそれに共鳴する心情だけを一念に書き続けている。
ありがとう。人生の晩年になって、ボクはこんなスバラシイ言葉にめぐりあえたことに、感謝している。
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