山口勇子の「荒れ地野ばら」

 この物語は、広島市にある清栄女学院で同じクラスになったふたりの女性、野田槇子と堀井芙由、彼女らはふたごと間違えられるくらい似かよっているのだが、このふたりが、一九三五年から一九四五年の十年間、いったいどのような世の中をどんな思いで生きたか、そして十年後、広島で原爆に被災するまでの出来事を、透明な文章で描き切っている。

 「荒れ地野ばら」 山口勇子著 新日本出版社 1981年8月30日初版

 簡潔に概観すれば、明治以降、日本が欧米列強の中を後発の資本主義国として出発したため、権力の分散した封建制度から天皇を元首として国内を強力に統一した国家体制の下、「富国・強兵」の社会政策を展開、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦を基本的には勝利し、その後、欧米列強と肩をならべて植民地を収奪する争いが激化した満州事変の四年後からこの物語は始まる。

 もちろん、実際にこの作品を読んでいただく以外に仕方ないのだが、戦前、第二次世界大戦前後から始まり、B29の空襲による日本の都市の壊滅、それでもポツダム宣言の受諾を拒み続け一億玉砕を叫んだ日本国の指導者とその下で生きる国民、しかし、米国の巨大な人体実験、広島の原爆投下によって止めを刺され、ついに天皇自ら無条件降伏を宣言する玉音放送に至り、さらに、広島での被爆後一ヶ月余りの人々の生活、既に戦争は終わっているのだが、この間、多くの人々が原爆症でこの世を去って行く世の中を、物語のふたりの主人公を中心にして、先に述べたとおり、極めて透明な文章で書かれている。おそらくその透明度の高さは著者自身の被爆体験に対する思い、戦後の原爆孤児救援活動、そういった生きざまと深く関係しているに違いない。

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