小田実の「HIROSHIMA」

 この本は、所謂「原爆文学」といわれる作品の中では比較的新しく、ジョウという牧場で働いていたアメリカの男が、第二次世界大戦で召集され米軍の空軍に入隊、ヨーロッパ戦線でヒトラーがバンザイした後、日本にトドメを刺すべく爆撃機に搭乗して日本の呉を空襲した際、対空砲火に被弾、パラシュートで脱出するが日本軍の捕虜となって広島の収容所で監禁され、おりしも、八月六日、原爆に被災し死亡。米軍兵が米軍の投下した原爆によって戦死した物語がこの作品の骨子となっている。すなわち、米軍兵「ジョウ」は米国の国家権力の被害者だ、著者はそう結論しているのだろう。また周知のとおり、現実に、広島の原爆によって日本人ばかりではなく、米軍の捕虜や強制労働者の朝鮮人なども被爆、死亡している。

 「HIROSHIMA」 小田実著 講談社 1981年6月20日 第1刷

 四百字詰め原稿用紙762枚の長編小説であり、もちろん、先にあげた物語の骨子の展開する中で、アメリカの先住民いわゆる「インディアン」とヨーロッパから移民してアメリカに住み着いて先住民を弾圧して国家を成立させたいわゆる「アメリカ人」との差別などの問題、アメリカに移民した日本人いわゆる「ジャップ」の問題、特にアメリカ国籍を取得した「ジャップ」が第二次世界大戦の時、アメリカの自由と民主主義の旗の下、収容所に収容されたり、あるいは、戦時下の日本における朝鮮人の差別問題、日本における都会人と地方人、軍人と一般市民のほとんど差別に近い違和感の問題等々、さまざまなエピソードがチリバメられている。

 さて、ボクはこの本が所謂「原爆文学」の中では比較的新しい作品だと指摘したが、例えば、広島の原爆をテーマにした作品で米兵の問題を前面に取り上げた代表作を以下にあげてみる。

 「審判」 堀田善衛著 岩波書店 1963年10月28日 第1刷

 「アメリカの英雄」 いいだもも著 河出書房 1965年1月30日発行

 「HIROSHIMA」 小田実著 講談社 1981年6月20日第1刷

 ところで、一九六〇年代前半に発表された「審判」と「アメリカの英雄」は原爆を投下した米軍のパイロットの戦後の生き様が描かれており、「審判」のパイロットは物語の終局で広島の平和公園で自殺。「アメリカの英雄」のパイロットは、米国民から英雄として賞賛されている自分を否定し、法廷に立って自らの罪を告白しようとして国家権力によって精神病院に監禁され、この世から永久に隔離される。いずれにしてもこの二作とも、パイロットが原爆を投下した自分の行為を「自己否定」する物語を根幹にして構成されている。翻って思えば、六十年代といえばこの「自己否定」の思想に共鳴した多くの若者がいたのではなかったか。例えば、「自己否定」を重ねて、一個の無名の人になる、そういう考え方が。

 それから十五年余り後に「HIROSHIMA」は書かれている。一九七〇年代には、まず七二年五月十五日に沖縄復帰、七三年一月二十七日のパリ協定によるベトナムからの米軍撤退、七六年七月一日の南北統一によるベトナム社会主義国樹立。従って、この作品が発表された八一年には大きな政治争点は消滅していた。

 そうした社会状況の中で、この作品の終章、第三章はこうなっている。概略を言えば、ひとりはウラン鉱労働者で放射能に汚染されガンに、ひとりはウラン鉱採掘現場の下流に住む住人で放射能の汚染水を飲みガンに、もうひとりは原爆実験の訓練中に放射能を浴びてガンになり、三人そろって同じ病院の病室で終末医療の療養生活を送る。そして、痛み止めのモルヒネをうたれ、奇妙な妄想をする中で、彼等は死んでゆく。まず、彼等は、今までこの「HIROSHIMA」という物語に登場した戦争や差別の中で殺されたすべての人々に変身し、これらの殺された側の人々を代表して、逆に、殺した側の人間を殺すことによって、平等な社会を実現しようとする。

 彼等三人はヘリコプターで鉛の箱に原爆実験で汚染された土を詰めてホワイトハウスの上空まで輸送し、アメリカ大統領と日本の天皇ヒロヒトが会見している庭園に撒き散らし彼等を放射能で汚染する作戦を開始する。目には目を、歯には歯を、放射能に汚染された三人の末期ガン患者は、究極のテロリズム幻想を夢みて、永眠する。

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