フランクルの「夜と霧」

 この本の著者は、ボクの心に極めて強い印象を残している思想家の一人である。というのも、個人的な話になってしまうが、ボクは一九六九年四月二十八日の沖縄デーで、反戦運動に参加して、新橋・有楽町間の線路上で機動隊に逮捕され、二十三日間、城東警察署に留置された。ちなみに、ボクの誕生日は五月十八日だったため、二十歳の誕生日を留置所で迎えたのだが、今にして思えば、その後の人生をどん底から、零からスタートできた事実を思えば、ひょっとしたら、負ではなく、正の遺産だったのかも知れない。

 というのも、その後、深い絶望感に打ちのめされ、自殺するか、あるいは、何としてもそこから脱出しなければならなくなった。ボクはボク自身を救済する道を選んだ。

 「夜と霧」 フランクル著作集1 霜山徳爾訳 みすず書房 1979年6月5日第14刷

 三十代で独自の「次元存在論」を基本に心理学を研究し、同時に医師として活動していた著者は、ただユダヤ人という理由だけで、ナチスドイツによって強制収容所で奴隷労働者として日々を送り、その間、彼の両親も妻も子供も、すなわち最も愛していた人々は収容所で他界、ただひとりで我が家に帰宅した。

 多くの読者を得たこの本と著者について、今さらボクがつべこべ言うまでもなく、すべての人には、その人がそれと意識しようがしまいが、彼また彼女の思いに先立って、唯一の、また一回的な、その人だけの具体的な生きる意味があたえられている、そして、一日も早くこの根源にめざめてかけがえのない人生を強く生きて欲しい、著者フランクルの心理療法「ロゴセラピー」の基本はここにあるだろう。

 ボクは二十代から三十代前半にかけて、この本の著者の著作をあれこれ読みあさった。それからおおよそ四十年前後の歳月が流れた。この歳になって、人間の身体だけではなく、心まで完全に破壊する装置、アウシュヴィュツ強制収容所を学ぶために、ふたたびこの書を手にした。この書は、すべてを奪われた人間という存在に、それでもあたえられた根源の光を明らかにしている。

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