胸の中には寒さと飢えと虚無しかない
心の中では最後の価値も壊れた。(本書「ブナ」から、9頁)
この言葉は、観念的な虚無の世界を描写したものではなく、ナチスドイツによって製作された人間破壊装置「アウシュヴィッツ」の付属施設「ブナ」で「毎日が同じ一日」(本書9頁)を反復する強制労働に駆り出され、「何もかも奪われて苦痛さえ感じ」(本書10頁)られなくなった、あるイタリアのユダヤ人の一青年がその現実を模写した正確で率直な表現だった。この表現は、青年が強制収容所から解放された後、一九四五年十二月二十八日に書かれているが、心に固く刻まれた「虚無」と「破壊」は、彼の生きている時間の最後の最後までグイッとつかまえて、決して離さなかった。
「プリーモ・レーヴィ全詩集 予期せぬ時に」 竹山博英訳 岩波書店 2019年7月23日第1刷発行
以前、と言っても、ごく最近のことだが、ボクはこの著者の散文の作品を三冊読んでいる。「これが人間か」(朝日選書)、「休戦」(岩波文庫)、「溺れるものと救われるもの」(朝日文庫)、この三冊だ。この詩集に収録された詩「聞け」(本書16~17頁)は「これが人間か」の冒頭に置かれている。また、「休戦」では冒頭と末尾に置かれた詩「起床」(本書18~19頁)が、収容所から解放されて帰郷するまでの約九ヶ月間に体験したさまざまな著者の喜びや悲しみを超えて、何とも言いようのない不気味な不協和音の響きでもって読者の胸に迫るだろう。「起床」という詩は「聞け」が書かれた翌日、一九四六年一月十一日に出来上がった作品で、アウシュヴィッツ強制収容所がソ連軍によって解放されたのが一九四五年一月二十七日、まさに一年後のその日に反響するかのごとく著者は「ブナ」から始まって「聞け」「起床」など十数篇の詩を書いている。おそらく、これらの言葉が存在する場所が、著者の心の原風景ではないだろうか。
いったい何が起こっているのだろう? 最大の被害者が、最大の罪人だというのだろうか? この人間の世界では、最も打ち砕かれた者が、最も重い罪を背負って生死するのだろうか? だが、ボクは去年、所謂「原爆文学」およびそれに関連する本を読み続けていて、驚いたことに、広島・長崎の原爆で生き残った人々が、燃え上がる火焔や瓦礫の下で泣き叫んでいる声を見捨てて、なりふり構わず逃げ延びて「生き残った」自分を、断罪している姿を、見た。助けようとしたら自分自身も焼死するであろう状況下で、にもかかわらず、その状況から逃げた自分自身を断罪する、いったい人間とは何という存在なんだろう。
しかし、言うまでもなく、この詩集を書いたプリーモ・レーヴィは、もっとも虐げられた者であり、同時に、アウシュヴィッツを「生き残った」というもっとも「重い罪」を背負ってこの世を生死しなければならなかった。実に、彼は、この無実の十字架を背負って、耐えきれず、ついに自死したのかも知れない。
彼が自死する前の四年間の言葉の中から、ランダムに拾い上げて、以下に書き写し、何度も読み返したこの詩集の扉を閉じる
≪一九八四年二月四日≫
仲間の顔がまた見える
夜明けの光に照らされて、蒼白で
セメントの粉で灰色に染まり
霧の中で見分けもつかず
不安な夢でもう死の色に染めあげられている。(「生き残り」から、112頁)
≪一九八四年十二月十日≫
私は世界の邪魔になりたくない。
もし可能なら、喜んで、静かに
境界を越えたいと思う、(「懸案の責務」から、144頁)
≪一九八五年四月五日≫
闇とは戦うことができない。
髪の毛はまた生え
野獣の力も戻った。
だが生きる意欲は戻らない。(「サムソン」から、152頁)
≪一九八六年十一月二十四日≫
そう、確かに私は下僕だが、砂漠は私のものだ。
自分の王国を持っていない下僕など存在しない。
私の王国は荒涼たる悲嘆だ。
それに果てはない。(「ヒトコブラクダ」から、172頁)
≪一九八七年一月二日≫
早く、早く、砂漠を広げよう、
アマゾンの森林に、
我らの町の生き生きとした中心部に、
我ら自身の心の中に。(「暦」から、174頁)
この「暦」という詩を書いた年、一九八七年四月十一日、自宅のあった集合住宅の四階の階段の手すりを乗り越えて、彼は階下へ飛び降りた。六十七年の生きている時間が、消滅した。
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