先日、「パウル・ツェラン詩文集」(白水社刊)を読んでいて、ずいぶん昔、ボクが二十代の時に読んだビューヒナーの「レンツ」をもう一度読んでみたくなり、確かまだ手もとにあったはずだと思い、本棚を探した。それは二階の本棚で発見された。
「狂ってゆくレンツ」 ビューヒナー著 手塚富雄訳 「ドイツ短篇24」(集英社、昭和46年11月10日発行)所収
この作品は、周知の通り、レンツ(1751年1月23日~1792年6月4日)という詩人、この詩人はほとんど二十代前半で作品を書き尽くし、二十六歳で統合失調症を発症、その彼を牧師で慈善家でもあったオーベルリーンが一七七八年一月二十日から二月八日まで引き取って介抱するのだが、その間に書かれたオーベルリーンの手記をもとに、ビューヒナーが一八三六年に執筆した未完の小説である。
この「レンツ」を再読しようと思いたったのは、先にあげたツェランの本に収録された散文「山中の対話」とゲオルグ・ビューヒナー賞受賞の際の講演「子午線」を読んでいたからだった。
ビューヒナー(1813年10月17日~1837年2月19日)はこの「レンツ」の中で、神の否定と同時に、狂いゆく心を極めて精度の高い言葉で表現し、この世に於ける人間のすべての関係性を全否定する「空虚」を描ききっている。例えば、こうである。
「彼には憎しみも、愛も、希望もなかったーあるのは恐ろしい空虚、そして、それを満たそうとする苦しい不安」(本書66頁)
また、とても大切なところなので、未完に終わったと言われる作品の最終行をあげておく。
「彼は人がすることは何でもした。しかし恐ろしい空虚が彼の中にあった。彼はもう何の不安も、何の欲求も感じなかった。生きているということは、彼にとって必然の重荷だった。
そうして彼は生き続けた……」(本書70頁)
一言しておきたいのだが、ビューヒナーは自然科学者であり、農民や下層階級の人々を解放しようと志した革命家でもあり、ドイツ警察から逮捕されようとして亡命、その間、戯曲やこの「レンツ」などを書き、二十三歳で病に倒れこの世を去っている。
ボクは、いま、こんなふうに想像している。そうだ、この「レンツ」に表現された「空虚」と同質の「空虚」にツェラン(1920年11月23日~1970年4月19日)も完璧に打ち砕かれたのではないか? そうだ、そんなふうに。だから、人間であることを破壊された「空虚」、人間という存在固有の関係性が完全に消滅した「空虚」、もはやそこでは「自分」が発語するのではなく、言葉は、この大地や、石、空、夜、星、蝋燭、燃えているもの、そして、燃えつきようとしているものたちと同じ、この「自分」、この「空虚」に先だってあたえられたものであり、そこへ向かって迫りくる何ものかだ、そんなふうに、そうだ、つきつめれば、そんなふうに、ボクは想像してみる。つきつめれば、ボクはさまざまな想像があっていいと思う。無数の人々の無数の想像があっていいと思う。
このボクの文章の末尾に、ツェランの「山中の対話」の末尾の文章を重ね合わせて、レンツ、ビューヒナー、ツェランに、別れの挨拶を送りたい。
「ぼくら、あの星のもとのぼくら、ユダヤ人であるぼくら、山中を、レンツのように、歩いて来たぼくら……中略……燃えつきようとしているもの、蝋燭とともにいたぼく、あの日のぼく、あの日々のぼく、ここにいるぼく、かなたにいるぼく、愛することのなかったものらの愛におそらくーいま!―つきそわれて、この山頂のぼくまでの道をたどって来たぼく」(「パウル・ツェラン詩文集」164頁から)
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