この作家について、ボクは無知だ。ずいぶん昔、もう三十年近くなるだろうか、「愛人」という映画を観た。また、河出文庫から出ている同名の原作を買って読んだ記憶がある。おそらく、この作家の脳裏にはメコン河のような巨大な泥色の河の目くるめく映像の奔流が重層して、その河が海へ向かって泥色の扇を広げていく映像群がコラージュされ、物語であって、物語ではなく、自伝であって、自伝ではなく、愛欲の告白ではなくて、しかし同時にすさまじい愛欲の告白だった。念のため、本棚を探して、河出文庫を再読した。やはり、一九一四年、まだフランス領の南ベトナムで生まれ育ったこの作家の過去、十七歳か十八歳のすさまじい愛欲を知った。作家はこう言っている、「十八歳でわたしは年老いた」(清水徹訳、河出文庫8頁)。
ところで、何故「愛人」を読み返してみたかといえば、ひょんなことから、この作家のこの本を手にしたからだ。
「苦悩」 マルグリット・デュラス著 田中倫郎訳 河出書房新社 2019年1月30日新装版初版
ひょんなことから、と言ったが、先日ボクはロベール・アンテルムの「人類」という本を読んで、そこから、昔、「愛人」という映画と本で出会ったマルグリット・デュラスに再会した。人生は小説より奇なり、だった。一九四七年に「人類」を著わしたアンテルムは、遡ること八年、一九三九年にデュラスと結婚、一九四六年に離婚している。その間、デュラスは夫アンテルムと一緒に対独レジスタンス運動に参加、一九四四年六月に夫アンテルムはゲシュタポに逮捕され、これ以降の詳細は「人類」を読んで戴くことにして、一九四五年五月、瀕死状態の夫アンテルムがダッハウ強制収容所からパリへ送還され、その後夫を夢遊病者のごとく看病するのだが、この「苦悩」という本は夫がパリ帰還前の四月からのほとんど狂気に近い愛欲の日記であり、けれど、もはや日記とも言えない、「愛人」と同質と言っていいのかも知れないが、作家の脳裏に荒れ騒ぐ愛の極限値の映像だった。「苦悩」の中で、デュラスはこのように語っている。
「普遍的な前提を足場に暮らしている人たちは私となんの共通点ももっていない。誰一人、私と共通点なんかもっていやしない。」(本書12頁)
先程、「愛人」から「十八歳でわたしは年老いた」という言葉を引用したが、上掲の「苦悩」のこの言葉と通底しないか。外からやって来るあらゆる前提を拒否して、自分が一個の燃焼体として走り抜ける、そしてその果てに燃え尽き崩れ落ちた空虚な自分の抜け殻を恐れず受容する。七十歳に至って、一九八四年に「愛人」で十代の、そして翌年、「苦悩」で二十代の自分の愛欲を、デュラスは描き尽くしたのだろう。
一点だけ指摘しておきたい。この「苦悩」は、掲題以外に四篇の作品が収録されているが、その中で、「アルベール・デ・キャピタール」にボクは奇妙で執拗な思いが浮かんだ。この話は、パリがナチスドイツから解放され、戦時中にナチスに加担したフランス人たちが告発されていくのだが、レジスタンス運動をやっていたデュラスは、五十歳の男性のゲシュタポへの密告者の尋問を任される。彼女は頑なに口を割らない密告者をレジスタンス仲間の二人の男性に殴打するよう命令する。そして、最後は、狂ったように殴打を命じ、そして、密告者をこう恫喝する。
「あなたがちゃんと答えたら、わたしたちはあなたに何もしないわよ。答えなかったら、ここで今すぐあなたを殺す。さあどうするの」(本書201頁)
おそらくデュラスが実行した最初で最後の、一回限りの「敵」への「拷問」だったろう。しかし、何故、こんなにも詳細に、鮮明に書き尽くそうとしたのだろうか。それにつけて思い出すのは、一月ばかり前に読んだホルヘ・センプルンの「ブーヘンヴァルトの日曜日」だった。スペインからフランスに亡命したセンプルンはレジスタンス運動でゲシュタポに逮捕されブーヘンヴァルト強制収容所に収容されるのだが、レジスタンス運動中に若いドイツ兵を銃殺している。仲間と二人で狙ったので、どちらの弾丸が当たったのかはよくわからなかった、そんな書き方をしていたと記憶するのだが、それにしても、センプルンは、この場面を驚くほど鮮明に、ほとんど「美しい」物語のように書き尽くしている。レジスタンス運動におけるデュラスの「拷問」、センプルンの「銃殺」、彼等がこれほどにまで鮮やかに書き尽くした、いや、書き尽くさざるを得なかった、彼等の心の奥に、余りに悲痛な、ほとんど聖なる叫びを聞くのは、ボクひとりだろうか?
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