年末、「マルクス・エンゲルス全集第十九巻」を開いた。

 私は歴史に明るくないけれど、現在までに消滅した国家は多々あるだろう。何故消滅したのかは、さまざまな理由があって、それぞれ個別に具体的に研究する以外にないだろうし、その個別研究の集成の中で、国家消滅の原因の一般性と特異性が結論されるのかも知れない。あるいは、そういう研究書がもう既に出ているのだろうか? 不勉強な私は詳らかにしない。

 さて、先日読んだ本、レーニンの「国家と革命」の主題は、「国家の死滅」について論じたものだが、著者の論点は単に従来の国家の消滅を研究しているのではなく、将来の「国家の死滅」について論じたものだった。この著者の論点のアウトラインを言えば、従来までの国家成立の本質は、少数の権力者が多数の被抑圧者を国家権力、つまり軍隊・警察・官僚の組織でもって抑圧する階級構造を維持・存続するものだった。どうしてそんな面倒なことをするのかと言えば、多数の被抑圧者から彼らの生産物を収奪するためだった。奴隷所有者と奴隷、封建領主と農奴、資本家・土地所有者と労働者、これらの階級維持のための装置が、国家だった。従って、こうした階級維持のための国家を人民の蜂起によって粉砕し、プロレタリアの独裁国家を樹立して、資本家・土地所有者、すなわちブルジョアジーを暴力に訴えてでも抑圧し彼ら少数者の生産手段を剥奪、人民の共有にして階級を消滅させ、「国家の死滅」、言い換えれば人間が同じ人間を抑圧する階級社会が死滅した新しい未来の共同体に至るまでの過程を詳細に、レーニンは論じた。

 この論を進めるに当たって、著者レーニンは、マルクスの「ゴータ綱領批判」とエンゲルスの「ベーベルへの手紙」、「カール・マルクス『ゴータ綱領批判』への序文」を引用、この二人の先駆者の思想を根底にすえて、一九一七年のロシア革命の最中に「国家と革命」を執筆した。

 確かに、ずいぶん長い前置になってしまったが、以上の理由から、私は以下の本の扉を開いたのだった。

 「マルクス・エンゲルス全集第十九巻」(1875~1883) 大内兵衛・細川嘉六 監訳 大月書店 1969年4月30日第2刷

 この全集第十九巻の中に、先程私が言及したマルクスとエンゲルスの文献は収録されている。そしてこれらの文献の重要な骨子はレーニンの「国家と革命」に掲載され、詳しく論じられているので、私の下手な講釈を聞くより、そちらを参照されたい。ただ、この全集第十九巻にはそれ以外に収録されている、エンゲルスが書いた「カール・マルクス」、「カール・マルクスのための弔辞の草稿」、「カール・マルクスの葬儀」、「カール・マルクスの死によせて」、これらの文献をぜひ読んでいただきたい。ここでは、マルクスとエンゲルスの思想ばかりではなく、その人柄もにじみ出ている。彼らが若い頃に強く影響を受けたフォイエルバッハの、神の愛とは人間の類的本質だ、この長い間神に奪われていた人間本来の愛の言説が、二人の不世出の思想家・革命家の晩年にまでいかに深く届いていたかを、読む人が読めばおのずと諒解されるだろう、少なくとも私はそう思った。

 私はこの全集第十九巻の中で、特にエンゲルスの「ブルーノ・バウアーと原始キリスト教」に注目した。エンゲルスは晩年、この論考以外にも原始キリスト教に関する二論文を発表している。後日、私は別に論じたい。

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