ブルトンの「シュルレアリスム宣言/溶ける魚」再々読

 若い頃にこの本を図書館で借りて読んだ記憶があるが、今、思い出そうとしても、うすボンヤリして記憶に霞がかかっている。それから二十年余りたって、年齢でいえば四十三歳の時だが、おそらく梅田の旭屋か紀伊國屋だったろう、文庫本になって書架に並んでいるのを目にして、すぐにレジへ運び、家に帰って再読したのだった。しかし、やはり、今、腕組みまでして本の印象を思い出そうとして、うすボンヤリしていて頭の中に靄が立ちこめている。

 「シュルレアリスム宣言/溶ける魚」 アンドレ・ブルトン著 巌谷國士訳 岩波文庫 1992年7月24日第2刷

 あの頃、つまり梅田の旭屋か紀伊國屋から帰って再読してからもう三十年近い年月が過ぎてしまったが、この度もう一度この本を読んでみようと思いたったのは、最近、トロツキーの本を十代・二十代にかえって読み直し始めているので、メキシコに亡命したこの革命家にアメリカに亡命していたブルトンが会いに出かけているのを思い出し、「永続革命論」と「超現実主義」に通底するものがあるかどうか、そういった好奇心からこの本を開いたのだった。

 だが、残念ながら、やはりブルトンのこの著作はわからなかった。こういう作品は、まずもって、イメージそのものが強く喚起されなければ、読者の手から言葉全体がパラパラ滑り落ちてしまうのだろうが、無知無学な私の場合、三度目の正直というか、不徳の至りだった。

 ただ、一言すれば、「永続革命論」には、この世の底辺に生きてそれを支えている人々への強い信頼と希望があるが、「超現実主義」には少なくともそういう意味での「他者」は存在しないであろう。こんな事はわざわざ言うまでもなく、当たり前の話だが。

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