ケッセルの「昼顔」

 先日読んだラディゲの「ドルジェル伯の舞踏会」は一九二四年に、今回読んだこの本は一九二九年に発表されていて、両書とも、その当時ベストセラーだった。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間にフランスで咲いた、愛欲を主題にしたアヤシイ花束だった。

 「昼顔」 ケッセル作 堀口大學訳 新潮文庫 昭和三〇年五月二十日七刷

 この本の主題は、作者自身が序文で語っているので、それを以下に引用しておく。

 「昼顔」によって僕が試みたのは、霊と肉との間の、つまり偽りのない深い愛情と執拗な肉情の欲求との間の、怖るべき隔離を指摘するにあった。(本書4頁)

 外科医師ピエールの妻セヴリーヌは、何不自由のない生活を楽しんではいるが、ただひとつ、夫との性の交わりに満足せず、夫が仕事に出かけている昼間だけ売春婦となり、体の芯から突き上げる性衝動に対する快感を満たそうとする。彼女は売春宿では源氏名「昼顔」と呼ばれる。彼女の心的状況をこの作品ではこう表現している。

 彼女が求めているものは、夫が与え得ないもの、つまりあのすさまじい獣的な歓喜だった。(本書121頁)

 この獣的な歓喜の泥沼の果て、彼女も夫も、また、売春宿で愛しあった殺し屋の美青年マルセル、夫の友人ユッソンも破滅していく。第一次大戦後、泥沼化したフランスの経済や政治が立ち直り始めた時期ではあったが、ヨーロッパ人同士が大量に殺しあった事実はそう簡単には溶解せず、精神はいまだ泥沼だったのだろうか?

 この作品は冒頭、スイスの美しい雪景色から始まり、巻末、結びでは南仏の海辺で終わるのだが、この両サイドに挟まれたコンテンツは愛と性欲とが分裂し闘争するスサマジイ悲劇を描いていて、ちょっとオシャレな構想ではないか、不謹慎ではあるが、読後、私はついそう思ってしまった。

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