私をいちばん記憶していたのは
四十三年間 同じ屋根の下で暮らした妻だった
八年前 彼女は死んだ
その時から 私の記憶の大半は死んでしまった
彼女が死ぬということは
私を誰よりも記憶している人を喪うことだった
そうだ 私の記憶の半分は死んでいる 八年前から すでに
愛しあった人と死別したのだから 私の半分は死んでいる
半分だけで生きている
*きのうは午後から雨、きょうは曇っていた。正午。芦屋浜への通り道に立っている木。夏場、この木の下で涼をとりながら、幾度私はさまざまな思いにふけっただろう。いま、この木の下に立って、なぜかあなたの二十代の記憶が私の脳裡に流れていた。
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