これから語ることはまったく個人的な事柄なので、さまざまな一般論から物事を考えたり感じたりする方には、不向きな話だった。ひょっとしたら私だけの特殊な体験なのかもしれない。
前置きはこれくらいにして、先月の二十五日土曜日、私はこの八年半余りをかけて書き続けてきた作品を完成させた。この作品は「恋愛詩篇 えっちゃんの夏」と題して、この三月の下旬までには本になって我が家にやって来るはずである。
この作品の主人公は私の亡妻「えっちゃん」だが、信じてもらえるかどうかは別にして、彼女が九年前の七月十九日にすい臓ガンで急死してからずっと、私の胴体の内側でこの世にとどまっていたのだった。いつも私に微笑みを投げかけ、時折、私の耳もとでつぶやいたりしていた。この間、私は好きな女性が出来て詩にも書いているが、積極的な行動はできず、ついに妄想に終わった。私にとって、それほどにまで亡妻の存在は重かった。
作品はなかなか書けなかった。ほとんど苦行といってよかった。折れそうになって何度も断念しようとした。けれど、そのたび彼女は私の愛称「とんちゃん」と呼び掛けて、微笑みながら励ましていた。私はいつものダイニングのテーブルを前にして椅子に座り、ペンを握るのだった。
さて、先月の二十五日にこの作品が完成した時、私にはなんの感慨も湧きあがらなかった。やっと終わった、そんな感動もなかった。むしろ何事もなかったかのごとくだった。ただ、もう「えっちゃん」を書かなくっていいんだ、そんな思いだけが残った。
あれからまだ十日しかたっていないが、不思議な体験をした。今まで、私の胴体の内側で生きていた彼女が、いなくなって、空洞になっているのがわかった。時折、彼女は私の外側から近づいてきては微笑んでいるが、決してこれまでのように私の内側へ入ろうとはしなかった。えっちゃんは私から離脱したのだ。
彼女が亡くなってからというもの、一緒によく遊んだかずかず、例えば旅行、ゴルフ、水泳など、私は一度も行くことが出来なかった。しかし四、五日前から、来月の中旬辺り、二泊か三泊か、それくらいでどこか、もちろん彼女と一緒に行った旅先へはまだ行けそうにないが、初めて訪れるところへ一人旅しよう、私はそう思うようになった。
愛別離苦を書くこと、それを完成させること、このスサマジイ苦行、それは仏教でいう「供養」なのか。
*写真は、四十歳のころの、私と亡妻「えっちゃん」。
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