後藤光治さんから詩誌が送られてきた。
後藤光治個人詩誌「アビラ」14号 編集発行/後藤光治 2023年6月1日発行
今号も全体の構成は前号から継続され、それを発展・深化させている。
まず、扉に「ロラン語録」が据えられている。そして六篇の<詩作品>。
続いて、<ロマン・ロラン断章(十四)>として「ジャン・クリストフ(9)」と「清水茂断章」が連載されている。
<詩のいずみ>では、毎回様々な詩人が紹介されているが、今回は「郷土宮崎の詩人群像」と題して、富松良夫と金丸枡一を中心に論じている。
最後は、<鬼の洗濯板>において、著者の青春を彩った短歌体験を語っている。著者は短歌から詩へと歩みを運んでいて、詩を書くにあたっても、潜在意識化ではまだ短歌的抒情とそのリズムが働いていることを自覚しているようだ。
ところで、個人的な話になってしまうが、私は十代半ばで詩が好きになって三十過ぎで詩人の中江俊夫と出会うまで文学上の友は皆無だった。まったく一人で書き続けて来た。四十前後で彼と別れてからは再びまったくひとりで書いてきている。
なぜこんなことをわざわざおしゃべりしたかといえば、奥付で、「現在、詩集の販売の努力は皆無であると言っても良い。詩集は売れない。裏を返せば販売に値するような詩が生み出されていない、ということか」(本書36頁)、こういった状況分析は私には無縁だったので、敢えて言及しておきたくなった。いずれ更に具体的に私の思いをブログに書いてみようと思う。横道にそれてしまった。
メモを取りながら全体を読み通して、再度<詩作品>六篇を読み直してみた。最初の二作品、「オクラホマミキサー」と「氷」は著者特有の望郷神話、所謂「吹毛井詩篇」の一角を構成するものだろう。作品の中に「オクラホマミキサー」や「あの子」や「氷」などの存在が現れて、神話の底辺が拡大していくのだろう。
それに対して、後の四篇は、どちらかといえば著者の人生観が具象化された作品で、さまざまな姿・形を通して著者の思いが表現されている。ただ、作品「逃げ水」は、詩集「吹毛井」からの再録で、かつて少年の追い求めた幻想が晩年の眼に「虹」となって今もきらめいている、そんな人生の落差と、そこを貫く同一なるものを描いている。
次号はどんな展開になるのか。楽しみである。
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