「日本霊異記」を読む。

 二十一歳の頃、この本を買って読んでみたが途中で投げ出した記憶がある。手短に言えば、最初は面白かったが、同じような話が続いてもうこれくらいで、そう思って本を閉じたのだろう。

 「日本霊異記」 景戒著 板橋倫行校註 角川文庫 昭和四十五年八月三十日十一版

 この度は、最後まで読ませていただいた。この著者は仏教徒ではありながら、幻想や怪奇の趣味を相当強く持っていたのだろう。人間の過剰な欲望を時にはさながら怪異譚の如く描き、その因果応報を仏教徒として説いている。

 しかし、因果応報を説かず、怪異譚のみを描いている場合もある。その典型は、中巻の第四十一話をご覧いただきたい。そこには三つの話が書かれているが、その中の二つは、蛇と交わる女の話、子と激しく愛欲する母は死んで再びこの世に転生して我が子の妻になる話、こういった怪異譚が陳列されている。

 そういえば、男と女の愛欲について言及している同時代の作品があった。「日本霊異記」は822年に完成しているが、空海の「十住心論」は830年、この時代のゆったりした流れから言うと、同時代の作品といっていいだろう。民衆の文盲率はおそらく高く、こんな作品を読むのはほんの一握りの知識人に過ぎなかったろう。

 さて、私の記憶によれば、空海の十住心の第一は地獄・餓鬼・畜生・阿修羅の世界を描いている。この中で、男と女の愛欲の世界に言及しているが、彼等は来世でも二人で愛しあって生活がしたい、神仏にそう祈願していると空海は分析する。所謂「愛別離苦」の世界だが、これは仏教の教えでもなかなか矯正することは難しいらしい。余りにも愛しあった男と女は、来世で転生してオシドリになってやはり二人だけの世界で生きてゆく、そんな話を空海は語っていた。

 言うまでもなく、愛欲の世界を積極的に肯定した仏教徒の第一人者は親鸞だろう。彼はこの世で愛しあった男と女は死別しても、浄土で再会する、その浄土の構造まで詳細に「教行信証」で描いている。もちろん、再会するのは、愛しあった男と女だけではない、すべての人間の本来の姿ではあるが。

 余談ばかりになってしまった。最後に、「日本霊異記」の末尾からこんな文章を引用しておく。

「食(お)す国の内の物は、みな国皇の物にして、針指すばかりの末だに、私の物かつて無し。国皇とは随自在の義たればなり。百姓たりといへども、敢へて誹(そし)らめや。」(本書206頁)

 この本の著者景戒によれば、天皇がすべてであって、民衆は零だった。「日本霊異記」も「十住心論」も平安時代初期の作品で、発展途上にある天皇を無視して、作品の発表は考えられなかっただろうし、もし無視すれば知識人としてこの世を渡ることは極めて困難だったろう。

 また余談になってしまうが、天皇を真っ向から批判した仏教徒は、その衰退期、平安末期から鎌倉へと至る過程ではないか。先程あげた「教行信証」の末尾で親鸞は厳しく天皇を批判している。

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る