いつもの行きなれたレストランだった。私は妻を亡くしてから、朝と昼のご飯は自分で作っているが、晩は毎日外食だった。そのうえ、同じレストランばかり通っていた。ひとりで生活しているので、余りストレスになることは避けて日々を送るのだった。妻が亡くなって九年間、私は自宅で晩御飯を食べたことは一度もなかった。
どこにでもある月並みなレストランだとばかり私は思っていた。もちろん私は一人だったが、家族連れや、あるいは友達同士でやって来る人達で賑わう、いわゆるファミリーレストランだった。だが今夜は違った。店長に別室へ案内されたのだった。ドアを開けると、紅のドレスを着た女が立っている。
「よくいらっしゃいました。いつもお世話になっています。さあ、どうぞ」
妻以外はほとんど知らなかった私は女性の歳なんて皆目見当もつかなかった。おそらく厚化粧しているのだろう、三十代に見えるけれど、ひょっとしたらもう五十を過ぎているのかもしれない。魅惑する物腰で、妖しい香水で出来た体を紅のドレスで包んだ、艶めいて、少し青ざめた肌色のしっとり頽廃したかぐわしい花束を目前にしている、突然のことで私の心は乱れていた。
どうやら招かれた部屋は控室らしく、壁際に四人掛けのソファが置いてあるだけで、彼女の他には誰もいない。耳もとに唇を寄せて、背後から抱きしめて、
「こちらのドアから入ってくださいね」
銀色のノブをつけた黒い扉に私の体を押し付けた。私達はたがいの唇を開いて濃厚なくちづけをむさぼり続けた。夢中になってしまったので、まったく気づかなかった。彼女は私の背後の銀色のノブを回し、向こう側へ私を押し出して、いきなり扉を閉ざしたのだった。
何が起こったのか、すぐには理解できなかった。やがて私の首のまわりは鎖で囲まれて、リードに繋がれているのがわかった。犬だ! そうに違いなかった。四つ足で歩き、全身が黒い毛で覆われている自分の体を認めたのだった。そればかりではなかった。リードを持って私と散歩を楽しんでいるのは九年前に亡くなった妻だった。
「ジャック、お母さんよ」
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