
きょうまで追いたてられて生きてきた。朝、インスタントコーヒーをすすりながら、仕事に出かけるまでのわずかなひとときを、こんな思いに彼はひたっていた。
いったい何に追いたてられてきたのだろうか。借金取りだろうか。待てよ。俺には借金なんて一文たりとない。当たり前じゃないか。こんな貧乏人に銀行が金を貸す道理なんてない。臆病だから博打も女遊びもやらず、ずっと一人暮らしでやって来たから、安月給でも我慢できた。そんなことで不満を持った思い出はない。昔、愛していた女に相手にされなかった悲しみだけが、ずっと今まで続いているだけだ。他愛ない話さ。だから、俺を追いたてているのは、明らかに借金取りではないだろう。
それなら誰だ、俺を追いたてている奴は。何度も自殺未遂をやって、早く死んでしまいたいのに、誰だ、俺にきょうも生きろと追いたてている奴は。
彼は冷めてしまったコーヒーを口に含んで立ちあがった。とりあえず、この問題は未解決にしておこう。また、あしただ、あしたじっくり検討することにしよう。とにかく、仕事だ。このままじゃあ遅刻してしまう。
彼はあわてて立ちあがると、使い古したセカンドバッグを小脇に抱え込んだ。
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