松村信人の「似たような話」を読む。

 縁あってこの本を手にした。しかし、縁とはいっても、限りない偶然の果て、この本を開いていた。

 「似たような話」 松村信人著 思潮社 2018年10月1日発行

 これも偶然だったが、著者と私は同じ年代の生まれ、所謂「団塊の世代」の末尾に位置していた。だから例えばこの詩集に出て来る「蛇」(同書86頁)は親しみを覚える作品だった。この作品を読んで親しみを覚えるのは、私達の世代が最後かもしれない。この作品には露店の見世物小屋に「蛇女」が登場するのだった。あるいは白蛇なんか出てくる昭和三十年代前半くらいまでの風景を形作っている。

 それはさておき、この詩集の中核になる作品は何と言っても書名にもなっている第Ⅰ群の「似たような話」九篇であろう。未読の読者のために一言すれば、この詩集は三群に分かれていて、先に言った<Ⅰ 似たような話>に九篇、<Ⅱ 往きつ還りつ>に十二篇、<Ⅲ 季節の終わり>に十五篇の作品が収録されている。

 全体的に言って著者は人間の不条理を簡潔に描いている。<Ⅲ 季節の終わり>は自伝的世界を多く描いているが、しかし、理屈通りには生きることが出来ないこの世の不条理を淡々と語っている。

 その頂点が書名にもなっている<Ⅰ 似たような話>だろう。果たして何が似ているのだろうか。

 この<Ⅰ>に登場する人物は、ことごとくみなこの世で社会人として敗北者になるためにやって来たのだった。著者とさまざまな機会を経て付き合っていた彼等は、社会から落ちこぼれ転落して突然失踪するかと思えば、ある日、線路に寝ころんで轢死する最期を迎える人々だった。ビジネスに失敗を重ね、職業を転々として、奈落へ落ちていく姿が簡潔に語られている。<Ⅲ>群に収録されている作品「開発擬き」(本書98頁)を読めば著者自身の度重なる失敗談が出て来る。社会人としての敗北者の群れは、ひょっとして著者自身の精神的本質を表現しているのではないか、おそらく読者はそんな錯覚を覚えるに違いない。

 この世に挫折するためにやって来た特異な人間を誰にでもわかるように簡潔に描く、ご覧、こういった人間もいるのだよ、著者はそんな矛盾した存在者を静かに描いている、奇妙な語り部だった。

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