「彼女」第四章

 十年一日の如しというが、確かにE子が亡くなってこの十年間、中身のない、空虚な日々を過ごしてきた、私にはそう思えて仕方なかった。生活の芯がなかった。ここで敢えて「芯」という言葉を使ってみたが、それは生活を支える楽しい行為、あるいは愛しあう行為といっても大過なかった。眼前は空虚だった。当たり前の話じゃないかといえばそうに違いないが、時折E子の名前をつぶやくことがあってもどこからも応答がなかった。無音の生活だった。

 それでも振り返ってみれば、この十年間、あれこれ首を突っ込んだ自分の姿が脳裏に浮かんでくる。例えば女性に関して言えば、B子もまだ鮮明に記憶に残っているその一人だった。

 最初、B子とはある夕食会で知り合った。その時、横長のテーブル席に対座していた彼女は自分の不幸な過去を私の眼をじっと見つめながら語ってくれた。その後、喫茶店でお茶を飲んだり、さらにエスカレートして何度か食事にも行った。私はほとんどしゃべらなかった。いつもB子は自分の不幸な過去をとうとうと語り続けるのだった。詳細は書かないが、彼女が関係した男たちには悪臭が漂っていた。青春のただなか、十代の時、処女を卑劣な男に強姦されていた。週刊誌を私はほとんど読まないが、おそらくそういった雑誌に登場するような男たちと関係してしまったのだろう。私はB子に同情した。彼女の生活は苦しく、少し援助さえしてしまった。今から思えば、これが悪かった。彼女は私の懐具合を当てにする女になってしまった。私は彼女から離れた。やってはならないことを同情の余りついやってしまった。お金の関係を作ってしまった。私は世間知らずの馬鹿な男だった。

 亡妻E子と生活しているときは、毎日が楽しくて仕方なかった。私も男として他の女性となんだかんだなかったとは言えないが、最後はいつもE子と愛しあって生きて来たのだった。また、二人で始めた商売もそれなりに成功して、出来るだけ効率的な仕事を追求し、多くの時間を彼女と遊ぶのに費やした。海外旅行、ゴルフ、水泳、音楽会、食事、美術館……ほとんど彼女が予定を立てて、私を連れて回った。二人でいっしょに仕事と家事と遊びを堪能した。だから他の人たちの生活には余り関心がなかった。毎日、二人だけで楽しい時間を作って過ごしていた。

 E子が亡くなってからというもの、初めて我が家からそれ程遠くに住んでいない他人の生活をつぶさに見る機会がしばしば訪れて来た。先に述べたB子の場合もそうだが、ここまでスサマジクはなくとも、私とE子と暮らした生活とはまったく異なった男と女の生きざまに驚きの目を見張った、この世の非情な世界がこんなにも身近にあるのを知った、そう言えなくもなかった。

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