抹消登録

<Ⅰ>

 何か手違いがあったようだ。契約上の問題で、彼も関係した以上、無視するわけにはいかなかった。

 特殊な請負契約上のトラブルだった。元請A社の全ての賠償責任をB社が担保する契約だった。この「全て」という文言が、B社の無限責任へと転落していく元凶をなす、不吉な予兆の鐘を鳴らしていたのだった。彼もあらかじめそう言った状況を想定して、「全て」という言葉を削除し、担保する責任を列挙して契約すべきではないか、役員会でそう主張したのではあったが。

 また、請負契約といっても、建設や土木の業種ではなく、どちらかといえば漠然とした、これといった実態が把握できない、意味不明なビジネスに於ける取引関係であってみれば、契約を辞退すべきだったであろう。しかし保証契約の保険料が数千億円にも上るとなれば、いや、このビジネスをA社が成功させれば、ひょっとしたら兆単位の保険料がB社に支払われるとなれば、B社の役員全員が首を縦に振っている姿を、彼はいかんともすることが出来なかった。顧問弁護士といっても、実のところ、彼はただ巨額な報酬目当てにB社と契約している一介のビジネスマンに過ぎない、そう言われれば確かにそうに違いなかったから。

<Ⅱ>

 無数のトラブルが発生した。言うまでもなく厳格な守秘義務が課せられている契約であってみれば、この状況をB社は第三者に明らかにするわけにはいかなかった。まして、マスコミに公表でもすれば、A社から受け取った保険料の数倍の違約金を被害者から請求され、B社は倒産を余儀なくされたであろう。従って、事故処理は社会の裏側で、秘密裏に進められた。不思議なことに、数千万人にも及ぶ被害者の取り立てが発生する可能性があるトラブルではあるが、誰ひとり公にはせず、表面上は波風も立たなかった。いずれにせよ、いまや、B社はひそかに、今後発生するに違いない無数の被害者に、保険料が底をつくまでバラまき続けざるを得なかった。いや、保険料が底をついても、更に払い続けなければならなかった。というのもA社はB社に被害者を送り続けていたのだった。しかも被害者といっても、A社の社員やその家族、姻戚関係者、取引関係の会社、その家族、その姻戚関係者、そうした被害者がゾクゾクとB社へ押しかけた。だとすれば、客観的に見れば、この契約はA社がB社に仕組んだ罠ではなかっただろうか。B社の百兆円とも言われている巨大な資産を食いつぶそうとしている、闇の権力の罠では。

<Ⅲ>

 社長室に違いなかった。テーブルには契約書が開いていた。契約書には赤線があちらこちらに引かれている。何故こんな詐欺まがいのでたらめな契約をB社はA社と結んだのか。これは請負契約ではなかった。赤線が引かれた個所を読めば、異常というより、狂気の沙汰だった。とするならば、A社の社長とB社の社長との間で何らかの裏取引があったと推定せざるを得ない。

 三人の男の背広姿。その後ろ姿が影絵になって白いテーブル掛けの上を歩いている。あれはなんだ。何を表現しようというんだ。薄暗い室内を三つの背中だけが蠢いている。ここは社長室ではないか。だが社長はどこに消えた。拉致されたのか。それなら破産して怨恨と憎悪に身を焦がした取り立て屋が血眼になってあちらこちらウロウロしているんじゃないか。借金が百兆円を超えたなら、三人の取り立てだけで事が収まるわけにはいかないんじゃないか。ということは、もしかしたらトイレ休憩なのかもしれない。いやはや。そんな馬鹿げた話ではない。冗談にもほどがある。裏情報によれば、今頃、B社の社長はA社の社長とホテルの最上階のスウィートルームで秘書を自称する彼女たちに囲まれて、祝杯を挙げている最中だった。そうだ。そうに違いない! もうこんなでたらめな話を許すわけにはいかない! そうじゃないか。オイ。何とか言えよ。三人の背中に向かって、ついさっき社長室に駆け込んだばかりの彼は興奮して叫んだ。彼等に向かって早口に金切り声をあげた。

<Ⅳ>

「確かにこれは推論かもしれない。だが極めて事実に近い推論だ、そう言っていいのではないだろうか。

 この契約の裏側では、当初から国立銀行が絡んでいた。A社、B社、そして国立銀行の頭取。おそらく四千万人を超えるであろう国民に<安らか証券>を販売して、その売り上げは全て政府の中枢に流れ込んでいるはずだ。その後、<安らか証券>の破綻。闇の事後処理。国民の破産。こうして政府は丸裸にされてその日暮らしになった国民を低賃金の肉体労働などに長時間酷使して国力を回復する。まさしく賃金奴隷制! 吸血鬼国家! しかし、逆に言えば、ここまで国家が行き詰っているのだが。

 今頃、頭取とA社B社の社長たちはXホテルのスウィートルームで彼女たちに囲まれてどんちゃん騒ぎをやっているだろう。アラエッサッサ、だ。そこには政府の中枢人物も裸踊りをやって乳繰り合ってワイワイ騒いでいるに違いない。社長たちや頭取には既にエジプトや南アフリカの高級住宅街に豪邸が用意されている。畜生。だが、今に見ておれ。彼女たちの中には、オレの<彼女>も紛れ込んで、スパイ活動をやっている。録音もしてるだろう。数日後にはなにもかも明るみに出るんだ。オイ。みんな、もう潮時だ。共に戦おうではないか。<安らか証券>粉砕! 同志諸君、国民を救済しようではないか!」

<Ⅴ>

 「そんなところだろうと思って、貴様を社長室で待っていたのだ。俺達三人は、A 社とB社、それに国立銀行の影だ。おまえは影に囲まれて生きていたのだ。残念だが<彼女>はもうこの世にいない。これが彼女のスマホだ。どうだ、参ったか。俺達を仲間だと勘違いしていたのか。お人好し。哀れな奴。今夜、おまえを抹消登録する! いいか、貴様は永久抹消だ‼」

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