アポリネールの「一万一千本の鞭」を読む。

 私は過日、ある詩人から私が詩に挿絵を描いて一篇の作品にしている姿勢を批判された。詩は言葉だけで成立するのだと。私は即座に反論したが、それはさておき、おそらく日本の現在の詩の書き手の多くはそういった考え方をしているのではないかと私は憶測している。さらに憶測するのだが、そういった人にはこんな作品は外道だ、詩ではない、そう言って否定するに違いあるまい。

 「一万一千本の鞭」 ギヨーム・アポリネール作 須賀慣訳 角川文庫 昭和49年11月5日三版発行

 この作品の序文でアラゴンはこう評している。序文は一九三〇年五月に書かれたものである。ちなみにアポリネールは一九一八年にスペイン風邪でこの世を去っている。三十八年の生涯だった。

「詩と性欲との関連についてのこれほど明確な意識、背徳者と予言者についての意識、これこそアポリネールを歴史の特異な一点に置くものであり、ここにこそ、韻と不条理な行為の数限りない見せかけものを激しく打ち壊(くだ)くものがあるのだ。」(本書6~7頁)

 おそらくこの作品を読んで、これは詩ではなくエロ小説じゃないか、それも殺人にまで至るエロ、そう批判する人も多々いることだと思う。アラゴンのように評する人は希少だろう。私はこの作品を性の前衛詩篇だ、そういう感慨を抱くのだが。

 アポリネールについてもう一言だけ述べてみたい。彼は初めて句読点を削除した詩を書いた詩人だった。また、「カリグラム」(図形詩)を発表したりしている。つまり、音(例えば音楽)と形(例えば絵画)と言葉(例えば言語作品)を統合せんとする高邁な志を持った詩人だった。

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