死劇 第五番

 闇の中からカウンターが出てきた。六席のカウンターで左端に腰を下ろした彼の右隣にリカが座っている。その向こうに彼女の娘だと自称しているアーちゃんという女が彼に横顔を見せて何やらおしゃべりを続けている。声だけはするが、意味不明だった。客は彼ら三人きりであとは三つの空席が出入口に向かって並んでいる。

 カウンターの中でマコという女が、おそらくまだ二十代後半になったくらいか、彼等の前に置かれたワイングラスに食前酒のスパークリングワインを注いでいる。

 二階が厨房なのだろう、奥の階段から料理をもってイタリア人の料理人が下りて来る。料理名をイタリア語で紹介しているが、何を語ったかは不明だった。

 ナイフとフォークの音がした。何皿も得体のしれない肉料理が出て来た。形から想像すると、足や指を煮込んでいるのじゃないか、いったい何ものの体から切断したのか、彼の脳裏にふとそんなおぞましい光景が浮かぶのだった。やがて五人がみな飲みだした。それぞれ心の底にたまっていた思いを言葉にしておしゃべりを続けていたが、薄闇の中で、何をしゃべっているのか、もう一度言うが、意味不明だった。

 白ワインが注がれたかと思うと、赤ワインに変わっていた。カウンターの中からワインの説明が複雑な音になって反響してくるが、他のおしゃべりと絡み合って、グジャグジャに縺れあい、混乱している。闇の中でワイングラスだけが五つ、カシオペヤ座の五つ星のようにWを描いて輝いている。三つの赤と、二つの白い星。

 料理人が流暢な日本語で自己紹介をした。初めまして。ワタシはイタリアから十一年前にやって来たカサノヴァと申します。

 ダンテだと思ってました。地獄と恋愛詩を書いた……料理人の言葉に彼はそんな応答をして遊んでいた。

 この会話だけが彼の記憶に鮮明に残っている。後はみなスパークリングワインの泡になって消えてしまった。

 闇の中ではまだ、二人の男、カサノヴァと彼、三人の女、マコ、リカ、アーちゃん、五人の男女が存在しているはずだった。椅子を引きずる音がした。カウンターの中で一瞬、刃物が光った。彼の右手を誰かが握りしめた。右隣に座っていたリカの左手か。それとも背後からやって来たカサノヴァの右手か。既に薄闇は消えていた。目隠しをされたのか。何もかも理解不能だった。彼に暗黒が来た。

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