この著者の作品はこの間、晩年の「神の裁きと訣別するため」など、そして中期の「ヘリオガバルス」を読んだ。引き続き二十代のこんな初期作品を読んでみた。
「アントナン・アルトー全集1」 現代思潮社 1977年6月30日第一刷発行
収録作品は以下の通り。
序言 1946年8月 清水徹訳
ローマ教皇への上奏文 1946年10月1日 清水徹訳
ダライ=ラマへの上奏分 1946年12月2日 清水徹訳
ジャック・リヴィエールとの往復書簡 1923年5月1日~1924年6月8日 粟津則雄訳
冥府の臍 1925年7月23日 大岡信訳
神経の秤 附 ある地獄日記の断片 1925年8月1日 清水徹訳
初期詩篇(1913~1923) 大岡信・釜山健訳
初期散文作品 1924年以前に書かれた散文 篠沢秀夫訳
空の双六 1923年5月4日 飯島耕一訳
ビルボケ 第一号1923年2月2日 第二号は不明 豊崎光一訳
初期詩篇には、象徴的言語を結びあわせて神秘的時空を表象しようとした作品が多い。彼の評論の中でメーテルリンクへの高い評価が言及されているが、そういった流れがあるのかもしれない。
この全集第一巻の主要な作品は、言うまでもなく、「冥府の臍」と「神経の秤」であろう。ここでは、一個の人、この自分自身を外して主張されたいかなる思考と言えども、極論すれば絶対否定する構えが前面に突出している。アルトーは、この世を去るまで、自らの内面から噴きあがる混沌、アナーキーを背負っていたのだろう。そして、身を賭してそのアナーキーな内面を精密に表現せんとしたのだろう。
例えば、「冥府の臍」でこんな表現に出会った。
「この私は、思想なんて持たないことを主張する」(本書95頁)
「人間どものいかなるむこうみずな科学も、私がみずからの存在に関して持ちうる直接認識よりもすぐれたものではないのだ。私は私のうちにあるものの、唯一の審判者なのだ。」(本書98頁)
また、「神経の秤」には、こんな文章も書かれている。興味のある方は、直接当たって欲しい。
「ぼくの肉に直接呼びかけるもの以外は、なにものもぼくにかかわりをもたぬ。」(本書149頁)
「ぼくは苦悩と影の領域を選んだ、ほかのひとびとは物質の光輝と堆積の領域を選ぶが。」(本書153頁)
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