カテゴリー:文学系
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阿川弘之の「魔の遺産」
一九四五年八月六日、広島に投下された原子爆弾による惨状だけではなく、この書は、それから八年後の広島をルポルタージュする著述家野口によって、原子爆弾投下直後と、その八年後、原爆症に苦しむ人々の姿を写実して、立体的に広島…詳細を見る -
福田須磨子集「原子野に生きる」
この著者の文章を読んでいると、人間に対する、それはとりもなおさずこの自分自身に対する、もはや手のほどこしようのない絶望感、治癒不能の虚無感、あえてそうとでもいう他ない黒々とした深淵を、ボクは覚えなくもなかった。 …詳細を見る -
渡辺広士の「終末伝説」
この著者でボクが知っていることといえば、わずかである。もうずいぶん昔の話になるが、ボクが二十歳の頃、この著者が翻訳した「ロートレアモン全集」(思潮社、1969年1月10日発行)をよく読んだ。この全集は一巻で完結してい…詳細を見る -
後藤みな子の「樹滴」
ほんとうはこの著者の作品集「刻を曳く」(河出書房新社、昭和四十七年八月発行)から読み始めるつもりだった。ネットで探し、値上がりして八千円余りしたが、注文した。だが、在庫ナシ、そんな返事が入った。同時に注文していた同じ…詳細を見る -
福田須磨子の「われなお生きてあり」
一九四五年八月九日、自宅にいた父と母と長姉は、原爆によって家もろとも灰燼に帰し、著者は勤め先で被爆、壊滅した長崎の原子野のかつて自宅があった場所に父の欠けた湯飲み茶碗を発見し、そこを掘ってみると三体の白骨が出てきた。…詳細を見る -
秋月辰一郎の「死の同心円」
最近、所謂「原爆文学」を読み続けているが、そういう心境に達したのも、ボクのワイフ、彼女をボクはいつも「えっちゃん」と呼んでいたが、彼女の死が強く作用していると思う。 えっちゃんが永眠してもうすぐ五年になるのだが、そし…詳細を見る -
亀沢深雪の「広島巡礼」
歳をとるということは、おそらく、今まで身に着けてきたさまざまな衣装が、晩秋、木の葉が散り落ちていくように、すっかり落ちて、本来の赤裸な姿に帰っていくことではないか。もちろん、歳月の中で、織りあげ、紡いできた夢や虚構も…詳細を見る -
亀沢深雪の「傷む八月」
すばらしい作品集だった。「すばらしい」という言葉にためらいを覚えるが、事柄の真実を、つまり、事実とそれに応答する心情を出来るだけ正確に表現した作品、そういう意味で、「すばらしい」と言っていいのではないか。 「…詳細を見る -
竹西寛子の「管絃祭」
きめこまやかな文章を書く人だなあ、本を閉じて、まず、そんな溜息をついた。 見渡せば、原爆投下された広島の八月六日を境にして、時をさかのぼり、あるいは、現在に向かって流れる時空に、さまざまな生者と死者が入り乱れながら、…詳細を見る -
正田篠枝の「ピカッ子ちゃん」
この表題の「ピカッ子ちゃん」は、文字通り、一九四五年八月六日午前八時十五分、広島に落ちた「ピカドン」のさなかに誕生した赤ちゃん、「ピカッ子ちゃん」だった。 ピカッ子ちゃんのお父さんは、外地に出征して戦死。身重のお母さ…詳細を見る