カテゴリー:文学系
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小田実の「HIROSHIMA」
この本は、所謂「原爆文学」といわれる作品の中では比較的新しく、ジョウという牧場で働いていたアメリカの男が、第二次世界大戦で召集され米軍の空軍に入隊、ヨーロッパ戦線でヒトラーがバンザイした後、日本にトドメを刺すべく爆撃…詳細を見る -
大庭みな子の「浦島草」
ひとくちに欲望といっても、食欲、性欲、金銭欲、権力欲、知識欲、名誉欲、快適生活欲、健康長寿欲などいっぱいあって、また、物欲といっても人間って各自さまざまなものをあれこれ物色するので、欲望とは何かを簡単に誰にでもわかる…詳細を見る -
いいだももの「アメリカの英雄」
この小説は、一九四五年八月六日および九日、ヒロシマ、ナガサキに原爆を投下したパイロットが、終戦後、アメリカ本国にスーパー・パイロットとして、すなわち、本土決戦を断念させて日本を無条件降伏に追い込んだアメリカの英雄とし…詳細を見る -
井上ひさしの「父と暮せば」
この戯曲は、広島に住む父子の家庭が原爆に被爆、倒壊した家屋に下敷きになった父を猛火の中で救えず自分だけが避難して生き残った二十歳の娘が、三年後、恋人に出会い、はたして「父を捨てて生き残った」自分が幸福な生活を選ぶこと…詳細を見る -
山口勇子の「荒れ地野ばら」
この物語は、広島市にある清栄女学院で同じクラスになったふたりの女性、野田槇子と堀井芙由、彼女らはふたごと間違えられるくらい似かよっているのだが、このふたりが、一九三五年から一九四五年の十年間、いったいどのような世の中…詳細を見る -
松谷みよ子の「ふたりのイーダ」
歩きながらおしゃべりする椅子が主人公である。この主人公に、小学校四年生の直樹と二歳十一ヶ月の妹のゆう子、それからおそらく二十五歳前後のりつ子、この三人がからみあって物語が展開する。 「ふたりのイーダ」 松谷み…詳細を見る -
井上光晴の「地の群れ」
ワイフを喪ってからおおよそ五年間、ボクはテレビをまったく見ていない。もともとボクはテレビッ子ではなかった。ワイフが存命中の時でもせいぜいニュースを少し見る程度。そのうえ、今はネットがあるので見たいニュースだけクリック…詳細を見る -
永井隆の「ロザリオの鎖」
一九四五年八月九日の長崎に投下された原爆で、自宅にいた妻を失い、著者自身も長崎医科大学の自室で学生の外来患者診察の指導のためのレントゲンフィルムを選別していた時に被災、傷病をかかえたまま救援活動に徹した記録は著者の書…詳細を見る -
永井隆の「長崎の鐘」
この著作も、原爆の被爆者が書いた他の所謂「原爆文学」と同様に、片岡弥吉の序文によれば、既に一九四六年八月に脱稿していたが、占領軍司令部の発行差し止めにあう。その後、一九四九年一月、日本軍が行った「マニラの悲劇」を付録…詳細を見る