アルトーの「ヘリオガバルス」を読む。

 先日、この著者の最晩年の作品「神の裁きと訣別するため」や「ヴァン・ゴッホ」などを読んだ。このたび読んだのは、一九三四年に発表された彼の三八歳、人生の半ばの作品だった。ちなみに、彼は五十一歳でこの世を去っている。

「ヘリオガバルス」 A・アルトー著 鈴木創士訳 河出文庫 2016年8月20日初版

 この作品の副題が「あるいは戴冠せるアナーキスト」となっている。ヘリオガバルスは二〇四年に生まれ、十四歳でローマ帝国第二十三代皇帝になり、二二二年、一八歳で虐殺されている。彼という男を現代人の眼から見れば、古い表現を使えば「男女両性具有者」、つまりトランス・ジェンダーやインター・セックス(性分化疾患)と分析する方もいるだろう。この皇帝をアルトーは、一言で言えば、「戴冠せるアナーキスト」と呼んでいるのだった。

 何故この少年皇帝をアルトーは「アナーキスト」だと呼ぶのかといえば、こういう次第だった。かいつまんで本書から引用してみよう。

「皇帝たるヘリオガバルスは、不良少年として、不遜な絶対主義者として振る舞う。」(本書185頁)

「彼は弱さを力と呼び、芝居を現実と呼ぶ。彼は受け入れられた秩序、思想、事物の通念を覆す。」(本書188頁)

「自由奔放な劇と詩に対する彼の好み」」(本書190頁)

 こうした文言でアルトーはヘリオガバルスを「アナーキスト」と評価するのだった。本書を一読すればわかることだが、ヘリオガバルスの生きざまは想像を絶する。空想や妄想ではなく、この現実の中で想像を絶する世界を彼は演じたのだ。ローマ帝国の皇帝として、ヘリオガバルスはあらゆる目の前のローマという権力社会に存在する秩序、思想、事物の通念を覆した。

 結局、詰まるところ、物事を今、この現在、この世に存在する知性や常識や思想などを通してしか世間が見えない人、あるいはまたそうした常識や思想でもって他人を平然として批判したり裁いたりしている人は、ぜひ、一度、参考のために本書を一読していただきたい。

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