
先日この著者の「大胯びらき」という作品を読んだ。今回はこんな作品を読んでみた。
「怖るべき子供たち」 ジャン・コクトー著 東郷青児訳 角川文庫 平成5年6月20日改版45版
この作品の成立は解説によれば、「コクトーは阿片中毒の治療のために何度目にか入院したとき三週間足らずで書き上げたという。」(本書165頁)。また、コクトーが阿片に手を出したのは、1923年12月12日、愛していたラディゲが二十歳でこの世を去ったのがきっかけだった。言うまでもなく、ラディゲは小説「肉体の悪魔」と遺作「ドルジェル伯の舞踏会」の作者だ。三島由紀夫がとりこになった逸話もある。未読の方はこれを機会に読んでみればいかが?
それはともかく、「怖るべき子供たち」について若干コメントしておきたい。そのためにこの文章を書きだしたのだから。
この作品は、大人になること、言葉を変えていえば社会人になることを拒否した青年の物語だった。そして、その青年の姉は、彼が子供のままでいることを願望する。結果、物語は姉弟の自死という悲劇で幕を閉じるのだった。
大人になっても、子供のままで。おそらくこの事態は、コクトーの生きざま自体を表現しているのだろう。さらに言えば、詩人という人間の根底を明るみに出した作品といっても決して的は外れていないだろう。大人になり切れず子供のように純粋ゆえに社会、人間関係の中でしばしば挫折し、歓喜と絶望の間を振幅してこの世を渡る詩人という特異な存在者。
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