
正確に表現しようとすれば、こうだろうか。一辺一センチの立方体が十個棒状につながったチョコレートを彼は既に二個かじって食べてしまった。真正面にやはり頭が立方体をした白髪の初老の男が座っている。いや、あるいは立っているのかもしれない。というのもこの男の胸から下は見えなかった。闇の中に消えている。だったら、もしかしてこの男は肩から上だけで闇に浮かんで、その下は存在しないのだろうか。先程からずっと笑っていて彼の口元から突き出たチョコレートを眺めているが、笑い声はしなかった。辺りに物音ひとつなかった。
だが、なぜ、彼はこんな話をここに持ち出したのだろう。こんなどうでもいい話を。そうなんだ。彼だってこんなどうでもいい話をするつもりではさらさらなかった。何かとても大切なことをあなたに伝えたかった。しかし伝えたいあなたはいなくて、肩から上だけの男が闇に浮かんで笑っていた。
理由なんて知らない。そんなものもうどっちだっていい。あなただけではなかった。これまで出会った女の姿は一人だって見当たらない。少なくともこれが事実だった。念のためもう一度確認しておこうじゃないか。ただいま、現在、ここでは、女は誰一人としていない。存在しているものは、ただ一人、あの肩から上だけで生きている初老の男。白髪の付いた立方体の頭に描かれているほとんど円形の顔だけが音も出さずに笑い続けていて、彼がくわえている棒状につながったチョコレートをじっと見つめている。
ご覧の通り、せんじ詰めればこれだけだった。これ以上は何も存在しない状況を彼は了解せざるを得なかった。だから財布や宝石貴金属の類だけではなかった。もっと大切なもの、取り返しのつかないものを失っている現実に、決して大げさな表現ではなく、あたかもハンマーで殴られたかの衝撃で彼は打ちのめされたのだった。ゴツン! もちろん、チョコレートが砕けて唇から飛び散ったのも、もはや彼は気づきさえしなかった。
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